遊びをせんとや生まれけむ

 井戸知事の放言に対していろいろな意見が寄せられているという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120111-00001112-yom-soci
 直接、県庁に電話やメールを入れるクレーマーが312人もいたそうだ。
 昨日、コラムニストの勝谷誠彦さんもメルマガで井戸知事発言を取り上げている。書き出しはこうだ。
兵庫県出身者として、前々からヘンなオッサンだとは思っていたが、ここまでとは。》
 そして、こう結論づけている。
《NHKの大河ドラマを当然のように地元への利益誘導の材料としか見ていないところが情けない。》
 まぁそれが「天下り知事」の限界でしょう。

 最近、霞が関のキャリア官僚を何人か知る機会を得た。また、元経済産業省の古賀茂明さんなどキャリアOBの書籍にも目を通した。そうするとよく見えてくるのが、東京大学法学部などというとんでもないキャリアを持っている人物に限って思考の偏重が大きいということである。偏在と言ったほうがいいのかなぁ。話していても「学歴なんか問題じゃありませんよ」と言いながら、その学歴に依存しきっているのが垣間見える。
 古賀さんの『官僚の責任』(PHP新書)から引く。
《とくにまじめな受験生として東大に入った人ほど、官僚をめざす傾向は根強く残っている。彼らのほとんどは、小学校、中学校、高校とずっと「一番」で通してきた。そして「日本の大学でもっとも難関だから」という理由で東大に進学した。そんな彼らが、大学卒業後の就職を念頭に置いたとき、何を考えるか。》
 古賀さんは断言する。今は変わってきているのだろうが、経済成長からバブル前後まで、「日本で一番就職の難しいところ」は霞ヶ関だった。だから、官僚になったわけで、別段、国家国民のために何かを成そうなどという大望を持って霞が関を選んだわけではない。
 そういうことなのだ。
 子供の頃を思い出してください。クラスでもおもしろかったやつというのは、ガリガリガリ勉君ではなかったでしょ。その面白くもない連中が全国から集まっているのが霞が関で、そこから兵庫県に天下ったのが井戸知事ということなのである。
 そんなガリ勉くんが、NHKの大河ドラマなど評価できるわけがない。そのあたりの評論は司馬遼太郎とか藤沢周平といった、心のひだの奥まで教養の沁みとおった本物がすることである。底の浅いガリ勉政治家が口を出すことではない。でも、井戸知事は、自身を司馬、藤沢と同格か、もしくは上の人物だと思っているのではないか。だったら、真性の阿呆だ。

 さて、今日のタイトルである。「平清盛」の中で、清盛を産み落とすことになる女(吹石一恵)が透きとおる声で歌った今様である。
「遊びをせんとや生まれけむ、戯(たわぶ)れせんとや生まれけん、遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ」
 後白河院撰『梁塵秘抄』の中にある名歌である。多分、この「遊びをせんとや生まれけむ……」が「平清盛」のドラマ全体の主題になっていく。
 平安末期の庶民の泥芥の中で、歌われるから今様の美しさが引き立つのである。だから心の琴線に響いてくる。演出家が、そのあたりを狙っていることがガリ勉くんには理解できない。

 元キャリだか、知事だか知らないが、もう少し教養を身に着けてから発言しろよ。