水の流れ

 広島の大惨事のことである。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140821-00050165-yom-soci
 今朝の朝日新聞では、死者・不明者が90人になっていた。土砂災害の被害としてはかなりひどい。朝日の一面は昨夜の午後7時ごろに瓦礫に埋まった現場で作業する警察官ごしに、ネオンサインが輝く広島の街が見える写真だった。暗い瓦礫の戦場と街の灯りの対比がなんとも言えない。
 現場を踏んだものではないので、はっきりとは言えないが、グーグルマップを見ると、災害前の現場の状況がわかる。被害の出た地域において住宅地はびっしりと建て込んでいるなぁと思う。ワシャの母方の祖母の家が矢作川の最上流部で、まさに今回の被害現場のように大きな河川沿いの山の裾にあり、立地そのものはよく似ている。大きな違いは、祖母の家から隣家が100mも200mも離れているということである。河川の最上流部の民家が点在する山間の集落を想像してもらえればいい。そして家と家の間には何本もの沢が流れている。沢と言ってもけっこう幅があって2〜3mくらいはあっただろう。水流自体は深い沢の底をちょろちょろと流れているだけなんですよ。そこでスイカなどを冷やしたり、沢蟹をとって遊んだりした記憶が残っている。隣の家のポン吉くんのところに遊びにいくだけでも、4つくらい橋を渡らなければ行けなかったなぁ。
 なにを言いたいのかというと、里山から里をとおって矢作本流に流れ込む沢が至るところにあったということ。大雨が降れば、ちょろちょろの沢は濁流の滝になって本流に飛びこんでいく。山の民は、その危険な場所と安全な場所を嗅ぎ分けていて、母屋は水流から離れた小高い土地に置き、家屋と背後の山の間には広い緩衝帯(裏庭)と水路をつくって直接、まともに土砂崩れの影響を受けないようにしてあった。事実、大雨の時には、その沢が満々と水を流しているのを何度か見ている。
 平家の落ち武者伝説のあったところで、800年くらいはそこに住んでいるのかなぁ。そのくらいは安全だったわけだから土砂対応は考えてあるということなのだろう。

 それで広島である。グーグルマップを見る限り、山から本流の太田川へ流れ込む沢のような水路は見えない。暗渠になっていたのかもしれないが、暗渠なら暗渠で道路の下に入れ込むはずだ。雨天時に大量の雨水を流す暗渠を埋設していそうな道路も見当たらない。どうも側溝程度の排水施設ではなかったのではないか。住宅造成の時に、山から流れ落ちる水の道を押さえてしまったのではないか。それでは鉄砲水のような土石流は誘導できない。