三陸報告

「地獄だな……」
 同乗者がぼそりとつぶやく。
 演劇の舞台が暗転するように、目の前の風景が切り替わった。

 ワシャの仲間のNPO岩手県気仙郡住田町に拠点を置いている。そこの伝手を使って我社からボランティアを21人送り込んだ。かれらは金曜日に三河を出発し13時間かけて被災地入りを果たした。これが第一陣で、今月中に第二、第三の派遣を実施する。総勢で60人を超すのは間違いない。
 ワシャは後追いで、中部国際空港から仙台に飛び、そこから車をチャーターして宮城県名取市仙台市の被災地を回る。
 その後、東北自動車道を北上し岩手県水沢市を経て住田町に入った。住田町のNPOの本部に顔を出し、駐在スタッフと今後のボランティア派遣の打ち合わせを済ませ、お茶も飲まずに急ぎ陸前高田市に向かった。とにかく一刻も早く現場に入りたい。その気持ちばかりである。

 住田町から陸前高田市には国道340号が南下している。5分も走れば陸前高田市横田町に入ってしまう。それほど近い。ワシャの見る限り横田町にめぼしい被害は出ていなかった。中越地震でも、能登半島地震でも、震源に近くなればなるほど目立って被害が増えていくものなのだが、まったく様子が違う。やはり災害の形態が違うのか……。
 車は気仙川沿いを快適に走る。竹駒町壺ノ沢無極寺を越えて、緩やかな左カーブを抜けた。

 とたんに風景が一変した。そして冒頭の一言が出る。
 まず、目の前に現れたのがJR大船渡線の赤い鉄橋だった。これがズタズタに破壊されている。震度7の直撃を受けた中越川口町の鉄橋ですら、線路が多少ずれたくらいで、形態は維持していたものだが、陸前高田の鉄橋は棒飴を割ったように砕けていた。気仙川に架かるこの鉄橋、河口から4.5キロほど内陸にある。そこでこの有様だ。恐るべし津波

 鉄橋を過ぎると1.5キロほど川沿いに平地が続く。そこは、津波に破壊され運ばれた瓦礫の山だった。印象に残ったのは、海水の入り込んだ田んぼにトラックが突き刺さっている風景だ。被災後、3か月が経とうとしているのに未だに手つかずのままなのである。まったく復旧が進んでいない、そういうことなのだ。
 越前高田の人に聞くと、「ずいぶん片付いてきました」と答える。これが「ずいぶん片付いた」状況なのか?ワシャには瓦礫がそのまま放置されているようにしか見えないけれど……。
 その状況は、陸前高田の気仙町に架かる奈々切跨線橋を越えると更に悪化した。大船渡線陸前高田駅周辺に広がっていた街がない。見渡す限りが瓦礫の山山山山である。3月11日の午後、神よ、あなたはどこにいたのか……。
 ざっとだが400ヘクタールのほどの街が津波に呑みこまれ、海水に浸かって腐り始めている。

 気仙町に入ってからずっと気になることがあった。白い霧のようなものが陸に澱んだ海水から立ち上り、瓦礫の上にわだかまっている。風がないせいか、いくつもの塊が動かずにじっと瓦礫を見下ろしているのだ。
 ワシャは、神仏も霊魂も信じるものではないが、その動かない白い塊を見上げた時、なにかしら超常の存在を感じてしまった。
 やがて、海からゆるい風が吹き始めて、個々の白いフォッグは西に流されながら一つにまとまり始める。それが気仙川西岸の山にせき止められ、山の中腹に滞っている。フォッグはこの辺りから立ち去ることを拒んでいるようだ。
(この項はもう少し続きます)