自衛隊のいい話 その1

 勝谷誠彦さんが、昨日のメルマガで『夕刊フジ』の連載コラムを取り上げていた。著者は桜林美佐さんである。保守派を自認するきれいだけどちょっと強面の女性ジャーナリストですね。
 桜林さんは、被災地に入って、とくに自衛隊の活動に重点を置いて取材をしている。勝谷さんが引用した桜林さんの文章がとてもいいので、引用の引用をさせてもらう。

《「俺、自衛隊に入る」。ポツリと小学生が言った。なぜ?と聞くと次のようなことだった。
 津波にのまれた父親が帰って来るのではないかと毎日、ずっと海を見つめていたところ、若い自衛官に声を掛けられた。理由を話すと、その自衛官は何も言わずに肩に手を置いて、しばらくの間、一緒に海を見てくれたのだと言う。
 震災の悲しみを乗り越えたとき、彼らの姿はもう被災地にないかもしれない。しかし、強く優しい戦士たちの物語は、日本人の心に刻まれるだろう。》

 被災地で出会った小学生から聴いた話だろう。心に沁みるいいエピソードだ。そして桜林さんのコメントもいい。「強く優しい戦士たち」まさに自衛隊員たちは、災害現場で被災者にそういった感覚で迎えられている。被災地に足を運んだことのないサヨクには想像もできないだろうが、私は、瓦礫撤去作業をしている自衛官に手を合わせているお婆さんを見たことがあるし、今回の震災報道でも、4月7日発売の「週刊文春」にいい写真が載っている。瓦礫に埋め尽くされた宮古の市街地を、自衛隊員が一列縦隊で進む。その隊列にむかって小柄な老人が敬礼をしている。どうという写真でもないのだが、なぜかうれしくなってくる一枚の写真である。

 この大震災は悪いことばかりだった。悲しいことばかりだった。でも、大震災というパンドラの箱から唯一の希望を見出すとすれば、この国が60年にわたって呪縛され続けてきた「狂信的平和主義」から解放されることだろう。
 サヨクが言ってきた「軍靴の音」は被災地に頼もしく響いた。
(下に続く)