水のごとく

 前にも書いたけれど、7月に摂津伊丹に出かける予定だったのだが、台風と重なり中止となってしまった。その時に黒田官兵衛ゆかりの摂津有岡城跡を立ち寄ろうと考えていた。といっても、史跡公園の一部に石垣、土塁、井戸、堀などが残っているだけで、市街化が著しいので荒木村重黒田官兵衛に想いを馳せるところまではいかない。
 それでも官兵衛が藤蔓に希望をたくして土牢で耐え忍んだ地を訪ってみたいと、今も思っている。

 17日の大河ドラマ軍師官兵衛」の話である。官兵衛の屋敷に住みついた下人夫婦と子供がいた。その子がやたら上手い絵を描いている。もちろんドラマ的には「意味のある行動」で、絵を描くことがドラマの「伏線」になっていることは間違いない。
 だから先行して考えた。少年の名前は又兵衛である。この時代に又兵衛という名をもつ絵師をワシャは一人しか知らない。「岩佐又兵衛」である。
そうか、岩佐又兵衛
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/data/050115/
有岡城荒木村重の末子であったわい。ワシャとしたことが迂闊であった。絵を描く少年に「又兵衛」と呼びかけた瞬間に「岩佐又兵衛」を想起しなければいけないものを、う〜む、まだまだ甘いのう。

 ワシャが有岡城址で嗅いでみたいのは、村重や又兵衛の匂いではなく、黒田官兵衛の残り香のようなものである。晩年、官兵衛は「如水」と号する。それは後世、「水の如くありたい」という官兵衛の心境からでたものと言われているが、もちろんワシャもそう思う。その哲学はおそらく有岡城の土牢で形成されたものである。それはあるのだが、官兵衛はものごとの面白みを知る苦労人だ。こんなことも考えられないだろうか。
 彼はキリシタン伴天連なので「シメオン」という洗礼名を持っている。これはユダヤ王国の16代の国王の名前だ。別の読み方をすると「ヨシヤ」で「Josiah」と書く。「ジョシア」「ジョスア」「ジョスイ」ってなりませんか(笑)。おっと、これは笑い話ではなく、そういう説もある。
 家康が関ケ原で手いっぱいの時に、九州を平定して、再度、中原に覇を唱えようなどという行動は、如水ならではのユーモアと見るが、如何?