尻啖え孫市

 ワシャは司馬遼太郎の長編小説『尻啖え孫市』を2冊持っている。一冊は角川文庫で、もう一方は講談社文庫である。角川は昭和44年初版の平成6年45版、講談社は昭和49年初版の平成5年41版。講談社は角川のものより字が大きいので読みやすい。買ったのはまず講談社文庫で、その後、字の小さい角川文庫を購入した。でもね、ワシャ的には角川の文庫が好きだ。その理由は表紙にある。
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000001795422&Action_id=121&Sza_id=F3
 上記のURLが講談社で、下記が角川である。
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000001822922&Action_id=121&Sza_id=F3
 表紙の絵が、挿絵画家の風間完の手による。先日、立ち寄った姫路文学館にも風間さんの作品が並んでいたっけ。ワシャはこの絵が好きなのである。
 昭和44年、ワシャは当時小学生で、小学生のくせに創元推理文庫が大好きで、E・R・バローズ、E・E・スミスなどのSFや、エラリー・クイーンアガサ・クリスティなどの推理小説を好んで読んでいた。創元推理文庫の隣に角川文庫が並んでいて、おそらく初版の、『尻啖え孫市』を手に取ったものである。その装丁が風間さんのそれであった。残念ながら、その時は司馬遼太郎など知る由もなく、歴史小説にまったく興味がなく、そのまま書棚に戻してしまった。しかし、その独特の装丁だけは記憶に残ったのである。後年、司馬遼太郎に沈潜した時期に、講談社文庫の『尻啖え孫市』を買った。装丁が違っていたので、小学生のときに手に取ったのが『尻啖え孫市』だとは思わなかった。読んでみると、なにしろおもしろく「これはいい本に巡り合ったわい」と思ったものである。
 それから何年かたって、古本屋で風間装丁の『尻啖え孫市』を見つけた。すでに『尻啖え孫市』は読んでいるので、買う必要はない。しかし、その文庫が手を離れなかった。装丁にどこか見覚えがあったのだ。じっと手の中の文庫を見つめていると、脳の中で記憶の回路がつながって「これがあのときの本だった」と確信した。もちろん懐かしくなって購入しましたぞ。
 でね、この間から神戸とか姫路に行ってたでしょ。その上に先週の木曜日は摂津伊丹に行く予定があったのだが、あいにくの台風襲来で、予定そのものがキャンセルとなってしまった。ワシャ的には、伊丹といえば摂津有岡城のあったところで、信長に反旗を翻した荒木村重の治めていたところなので、とても興味があった。出張は延期になってしまったが、気持ちはすでに飛んでいた。だから、そのあたりの本はないかと漁っていたのである。司馬さんと言えども、摂津伊丹となるとそう何作も書いてはおられない。せいぜい『播磨灘物語』が『新史太閤記』くらいか。それだけでは物足りなかったので、同時代の近畿の話である『尻啖え孫市』にも手を伸ばしたというわけ。
 最初は、やはり思い入れのある角川版を手に取った。ページ数にして645ページ、歴とした長編である。話の後段の「本願寺戦の信長敗走」のあたりから、講談社版に変えた。何の気はなしにである。たまたま寝床で読んでいた角川版が布団の間にまぎれてしまって、すぐ読みたかったので書庫から講談社版を出してきて読みはじめたということ。
 ところがそこで、おもしろいことが起きた。
 同じ物語を読んでいるのである。本が変わっただけで、中身はまったく同じものである。しかし、ワシャの中で違う物語を読みはじめたような錯覚が起こった。角川と講談社では本の厚さ、重さ、字のポイントなどが若干違っている。そういったことが輻輳し、ワシャの脳が「違う話?」と一瞬思ってしまったのかもしれない。もちろんそれは一瞬のことで、すぐに脳は司馬遼太郎雑賀孫市の物語の中に没入していったのだが……。