五感の哲学

 日々目まぐるしいせいか、積み残しが増えている。昨日の日記はツイッターのようになってしまった。前の日にちょいと飲み過ぎまして、朝たっぷりと寝過ごしまして、日記を書く時間がなくなってしもうた(泣)。だから今日書く。
 日曜日に安城市の図書館で哲学者の加藤博子さんの講演があった。これがおもしろかった。90分があっという間でしたぞ。講演後の質問時間も30分は長かろうと思ったのだが、これが次から次へと手が上がり、三河人の哲学好きが証明されたか(笑)。

 加藤さんの講義はどこを切り取っても深い。ワシャのように下世話を絵に描いたような男には、ためになる話ばかりであった。とくに響いたのは、「瞑想の威力」ということである。『五感の哲学』(ベスト新書)の中にも「瞑想、水の如し」という項がある。加藤さんによれば、先入観としては面倒くさいと思えるローテクなこと、単純な労働のようなものが心地よい境地を生み出すらしい。「瞑想」とは目を瞑(つむ)ったり、坐禅を組んだりして「無」の境地にいたる……ことばかりではないようだ。本から引く。
《傍から見れば気の毒なほど大変な作業であっても、今はこれだけをしていれば誰にも文句は言われないし、自分も気が楽だということをしていると、密かに自分が解放されていると感じられます。それに没頭して雑念なく動けるならば、それもまたひとつの瞑想でしょう。》
 豊臣秀吉の軍師だった黒田官兵衛の号は「如水」であった。官兵衛は軍師であるので、日々趾(くわびら)立ち、画策を巡らしていた。だからこそ「水の如し」を理想としたのであろう。砂を噛むような日常ではなく、水の如き時間を過ごしたいものだと思っている。そのためは今からでも遅くないので、五感を鍛えなければいけない。そんなことを、蛙者(ワシャ)に指し示していただいた。

《「何もないぜいたく」提案 掛川のキャンプ場が再オープン》
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161018-00000036-at_s-l22
 これなんかも、不便だからこそ解放される空間なんでしょうね。