まもなく小津安二郎の日

 昨日、名古屋で「哲道ファンの集い」と銘打った勉強会があった。哲学者によるサロン講義で、昨日は「小津安二郎山田洋次是枝裕和の代表作品が描いている家族像を参照しつつ、そこに採用されている映画手法に埋め込まれている時代性を読み解いて、なにげない日常生活の底に潜んでいる、静かな変化や重要な問題提起に気づく」ことに眼目が置かれた。
 小津、山田、是枝、映画小僧のワシャには大好物ばかりで、2時間の講義があっという間だった。途中で口を挟みたくなったり、質問をしたくなったりしたが、そんなことをすると貴重な講義の時間が失われるので、とにかくひたすら聴講に徹した。

 小津映画については、ワシャもかなり観込んでいる。「麦秋」「東京物語」「晩春」「お茶漬けの味」などなど。どれを取り上げても名作ばかりで、日本が世界に誇るべき映画監督だと思っている。
 ここで先生は、小津映画に流れるネガティブなものを指摘する。それは「支那朝鮮」ということだと言われれる。え?全然気がつかなかった。
「小津は、大陸(支那朝鮮)から入ってきたものをザラッとした感覚で描いている」
 そう言われても、なかなかピンとはこなかったが、「漢文の教師が支那そば屋に落ちぶれている」とか「麻雀のジャラジャラという音が嫌悪感の表現として出てくる」とかの例を聴くと、確かに随所に支那朝鮮らしきものが時々顔を出しては「ザラッ」とした感覚を観客に与えている。
 日支事変で兵隊として大陸に渡っていた小津には、「大陸的」なものへの嫌悪感を、その意識の底流に蔵していた。何度も小津映画を観たはずなのに、まったく気がつかなかったわい。

 山田洋次である。言うまでもなく彼の代表作は「男はつらいよ」で「幸福とは何か」を問い続けた監督だった。
 その講義の中で、「主人公の寅次郎が被差別民ではないか」ということが話題にあがった。まぁこれは今までも俎上にあげられている話で、「そもそも車という姓が被差別部落出身を臭わせる」と言われてきた。今回は、寅の舎弟の「源公」にも触れ、蓬髪で寺の鐘つきを仕事としている立場から「被差別民である」と指摘する。あの蓬髪は、江戸期の非民が髷を結うことを禁じられていた名残と考えると頷ける点がある。
 また、寅次郎が「在日朝鮮人ではないか?」という説もあって、例えば永六輔などもそのことに言及しているし、山田自身もそのことを「意識していた」と言っている。ワシャはそんなことを考えたこともなかったので、「え!」と思ったものである。
 だから先生の話を伺いながら、いろいろと思いを巡らせていたのだが、そういえば寅次郎の細い目や四角い顔は朝鮮半島に多い顔立ちだし、最終作の『寅次郎 紅の花』でも、ラストシーンが朝鮮舞踊で締めくくられているところなどにも半島の臭いがすることは確かだ。

 是枝作品については、ワシャはほとんど観ていない。小津映画、山田映画はDVDで揃えているほど観込んでいるのとは対照的だ。
 しかし講義を聴いて、小津、山田の延長線上に「家族」を描いた名匠ということが理解できたので、これからしっかりと見込んでいくことになるだろう。

 講義に後は、楽しい宴会となった。みんなでワイワイとテーブルを囲んで地方政治の話(笑)、映画の話などに花を咲かせたのだった。あ〜楽しかった。

 今、思い出した。
 そういえば明後日の12日は小津の誕生日であり、命日だった。小津はきっちりと60年を生きて、還暦になった日に死んだ。映画と同じでなんときっちりとした男だったろう。
 昨今では、60年の生涯というものはけして長くはない。しかし、彼は「麦秋」を残し「東京物語」を残し、世界映画史に残る名作を立て続けに残した。それは充足した60年であったろう。うらやましいと思う一方で、凡夫には真似のできないレベルの話で、違いが過ぎて諦観の域に達してしまうわい(自嘲)。