摂津から播磨へ

 旧国名で言うと、神戸の東部は摂津、西部は播磨になる。須磨区は摂津、垂水区は播磨。ワシャらがうろうろしていた三宮周辺は摂津国であり、江戸は天保の時代につくられた国郡図を見ると「生田社」「布引タキ」「キタノ」「花隈」などの地名が散見される。
 就寝環境が変わったせいか、三宮のホテルでは熟睡できた。午前5時半には起床し、バスタブに湯を満たして本を読みながらゆっくりと浸かる。頭髪を乾かして、パソコンでメールなどをチェックしながらテレビのスイッチを入れた。タイミングよくオランダ―コスタリカ戦をライブでやっていたので、パソコンを打ちながらもチラチラとテレビを観ていた。そんなことをしていると、あっというまに朝食の時間の7時になる。夕べもまともに食っていないので、すっかりお腹が空いていた。身支度を整えて、1階の食堂に降りていく。
 食堂にはすでに30人くらいの行列ができていた。午前7時にこんなに並ぶのもめずらしい。そう思ったら、ホテル側の段取りが悪いので進みが悪かったんですな(怒)。
 4〜5人のオバサンが小さなバイキングテーブルの向こう側で「おはようございます」と元気よくあいさつはしてくれる。しかし手は動かさない。客は食材に対して1列でしかそこを通れないので、どうしても進まない。この効率の悪さは、今まで行ったホテルの中で最低だな。例えば、あいさつをしているオバサンが、みそ汁をおわんにつけるだけでもその分の時間が減って列は前に進む。ご飯だってそうだ。あらかじめよそって手渡せばいいものを、すべて客任せにしているのでらちが明かない。
 それに洗い物の手間を省いたのだろう、御膳がわりのトレーはなく、ご飯もお菜もみんなのっけるプレートが1枚あるだけだ。それにご飯もお菜もみそ汁の椀までものせなければならない。それを一人一人がいちいちやってりゃぁ時間がかかりますわなぁ。東横INNだからしかたがないといえばしかたがないのだが(笑)。
 結局、食堂に入室してから、席につくまでに15分もかかってしまった。よほど近くのコンビニに朝食を買いに行こうかと思いましたぞ。

 午前9時、地元の仲間が車で送ってくれるというので、お言葉に甘えてホテルをさっさとあとにする。仲間の話では、姫路城の天守閣の覆いが取れて白鷺が姿を現しているそうな。それならば行くべいかんべいかんぴょうえ、ということで姫路に向かったのだった。
 神戸から以西は新幹線では何度も移動したことがあるのだが、車で走るのは初めてだった。こいつぁ楽しみだ。三宮から阪神高速に乗って西を目指す。とりあえず毛利攻めに向かう羽柴秀吉と同ルートである。
 それにしても摂津を抜けるまで、つまり須磨を過ぎるまでは、山が海に迫っていてとても空間が狭い。秀吉軍にしても、さらにさかのぼって義経軍にしても、この狭隘な海道を行き来していたんだね。源平の一関の合戦がこのあたりでおこなわれたというから、名所旧跡も多いのだろう。時間があればゆっくりと廻りたいところであるが、まずは姫路じゃ。
 摂津と播磨の境の川を越えて黒田官兵衛の故郷にはいる。播州の東の玄関は明石ですね。そうそう夕べの居酒屋で食った明石のタコは美味かった。モロッコのタコに比べると色が濃くて弾力もある。それでいて柔らかい。この食感だけで酒がいける。もう一品はアワビを注文した。アワビには少し酒をかけて生臭さを抜いてから、山葵でいただく。これも熱燗にあう。「日本人に生まれてよかった」と思う瞬間である。
 まだ播州に入ったばかりだが……官兵衛との出会いはもう少し先なのであった。(つづく)