顔二題

 6月1日の日記で「人の顔」について書いた。
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20140601/1401574547
 小泉信三『平生の心がけ』(講談社学術文庫)の中に「人間四十以上になれば、自分の顔に責任がある」というのをふくらませたんですね。

 昨日、久しぶりに2人の著名人の顔を拝見した。一人は「日本一の斬られ役」と言われた福本清三さん(71)
http://cozalweb.com/seizo/
である。時代劇ファンではなくとも、おそらく映画やテレビで何度かは見ていると思う。斬られ役の代表のような大部屋役者さんだ。それこそ「暴れん坊将軍」で斬られたかと思えば「大岡越前」で叩きのめされ「水戸黄門」でばっさりやられた次の日に「銭形平次」の投げ銭に額を割られる……といったような具合。
 この脇役中の脇役福本さんが、ついに主役を張られるという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140608-00000051-dal-ent
 なんだか、下積みの人間に光を当てるいいニュースだなぁ。そして福本さん自身が、スポットライトを浴びることをとても恐縮しているところがいいじゃないですか。
 ワシャは福本さんの著作を2冊持っている。『どこかで誰かが見ていてくれる』(集英社)と『おちおち死んでられまへん』(集英社)である。両書とも表紙は福本さん、そして巻頭には福本さんの写真が入っている。もちろん「日本一の斬られ役」だから、顔は言わずと知れた「凶相」である。こんな人に繁華街の飲み屋であったら怖そうだなぁ。でもね、役を演じていない時の福本さんの顔はいい。ズラをはずすとパンチパーマ(笑)を当てた色男だ。福本さん、死体役からデビューして、はまり役に出世する。先輩悪役の代わりに池に飛びこむ役ですね。これを福本さん、こう表現している。
《一方、斬られて池に落ちた私は、その先輩と同じ着物を着て、顔を隠して池のなかの死体で、浮いていなければいけない。若い頃、よく、やらされました。「おい、フク!フク!行け!」って。行けと言われて池のなか。しょうもない。》
 下積みを知り、一事を極めた男の顔はいい。

 昨日の「たかじんのそこまで言って委員会」に元参議院議員釜本邦茂氏(70)がプレゼンテーターとして登場した。その主張は「パスを回すのが日本らしいサッカーではない」「外国人監督はもういらない」というもので、ザックジャパンをこき下ろしていた。でも、なにを根拠に批判しているのかよくわからない。言っていることが建設的ではないし、独りよがりの悪口のように聞こえる。
 パネラーの山口もえさんにもそのあたりが引っ掛かったようで「じゃぁ釜本さんが監督をやればいいんですよ」と突っ込まれ、「オファーがないんで……」と苦しい言い訳をしていた。
 それにしてもワールドカップ直前のこの時期になって、サムライブルーを貶めることに何のメリットがあるのだろう。弱点は弱点として指摘しつつ、それをどう克服してブラジルでいい戦いをしていくのか、そこを言わなければ単なる外野の苦情でしかない。世界を相手に戦っている侍に対しての愛がない。それが日本サッカー界の頂点を極めた男の発言だろうか。
 いやいや、一時、病でのリタイヤはあったが、つねに頂点に立ち続けた故の、傲岸不遜なのだと思う。挫折を知らない人間は成長しない、その典型が釜本氏なのである。若いころはイケメンサッカーマンだったのに、今では顔もむくんでしまってしまりがないし、目に輝きがない。サッカーをやったり、政治家をやったりうろうろしたのがマイナスになったか。そういえば釜本氏が尊敬してやまない森喜朗に似てきたのう。

 大部屋俳優に生涯を費やし、それでも一事を極めた福本さんの眼が澄んでいるのとは対照的だった。

 人生、意を失わざれば、いずくんぞ能く己の知をさらさん。