身捨つるほどの祖国はありや

 セウォル号から救出された21歳の若者のインタビューがテレビから流れていた。韓国は徴兵制の国である。彼は大学を休学して軍隊に入ることになり、その前に一人旅を楽しもうと、セウォル号に乗船した。彼は大部屋で同室だった老夫婦、怪我人など5人とともに脱出を図り、船首の窓の内側にいるところを、運よく海洋警察に発見され救出された。よかった。
 彼は被害者である。しかし、亡くなった人たちに対して「生き残ったことを申し訳ない」と言っている。生還したことに負い目を感じているのだ。彼は、「人生観が変わった」とも「これから真剣に生きていきたい」とも口にしている。なんと真摯な若者だろう。ただね、これだけは言えると思う。彼がいなければ、他の4人は脱出できなかっただろう。君が生き残ったことで4人もの命を救っているのだよ。
 そして若者はインタビューの終盤にこうつぶやく。
「国を愛さないといけないけれど、少し失望しました」

 おそらく、彼は事故後に様々な報道にふれているのだろう。朴大統領が日本への支援要請をしなかったこと、海運会社のずさんな安全対策、船長をはじめとする乗組員の無責任体質……そういったトータルのダメさ加減に「失望」という言葉を口にしたのだろう。彼は徴兵により韓国軍に組み込まれる。ソウルから北に見える山野の向こうは北朝鮮である。今でも韓国と北朝鮮は戦争状態にあり、小競り合いであっても戦闘状態が発生すれば、彼も身を捨てて祖国を守らなければならない。
 しかし、その祖国に対して「失望」の念がわき始めている。自らの命を賭して、守るべき政府はまともなのだろうか。国の経済を牛耳っているのは、人命を鴻毛のように思っている拝金主義者たちではないのか。
 若者に、そんな疑念を抱かせてはいけない。事故後、ボロボロと出てくる国の襤褸や会社のずさんさは、目を覆いたくなるほど情けないが、これを教訓にして立ち直らなければ、おそらく韓国は若者たちに見放されるだろう。
 大学への進学率が90%を超す。いろいろなところを見て回ったが、子供への教育に対する支援は手厚い。ところが大学生の就職率となると50%を切るとも言われている。要は、大学には行ったけれど仕事がないという状況なのである。
 道路は、車同士が我先に走ろうとして警笛が鳴りっぱなしだし、高速道路でも錆びついた大型バスが猛スピードで走り去っていく。裏通りの両側は違法駐車であふれ、残された車と車の間の狭い空間を、車がすり抜けていく。そもそもルールを守ろうという意識が低い、ということは間違いない。人を出し抜くこと、手を抜いて利益を上げること、これが国柄になってしまってはいけない。

 セウォル号から救出された若者や、今回、韓国で知り合った多くの人たちはまともだった。こういった健全な韓国人も多くいる。セウォル号の大惨事を教訓として、なんとか隣国には立ち直ってもらいたいものだ。

「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」
 これは、寺山修司の短歌である。今。セウォル号から生還した若者の心に、この短歌の後段が去来していることだろう。若者たちが身を捨てても守りたい祖国になること、これが日本にも韓国にも必要なことだと思う。

 今日は寺山修司の命日である。