坐薪懸胆(ざしんけんたん)

 昨日の夕方、ちょっといいことがあった。それはほんのささやかなことなのだが、例えば道で、いつも逢いたいなぁと思っていた人とすれ違う。小さなラッキーなのだが、これがずいぶんと心の和らぎに効くものなのである。

 もう少し韓国の話を続けたい。
 仁川空港に降り立って、昼飯の時間となった。そこでガイドに案内されたのは、空港から10分程のところにある日本人観光客向けの施設にある韓国料理店だった。そこでビビンバを食べる。他メンバーは店員に勧められるまま、辛子を入れでビビンバを赤くして食っている。ワシャは辛みは嫌いではないが、品のいい辛さが好きなので、最初は辛子を入れずに食した。ううむ、これでも充分にいける。次に少しだけ辛みを入れて微調整する。おおお、ちょうどいい味になった。
 動向のメンバーは、最初に辛子を入れ過ぎたため(店員があおったためだが)「ヒーヒー」言いながら食べていた。
 食後に白い包み紙の飴が配られた。口直しということなのだろう。店員によれば「米味」のキャンディーなのだそうな。もちろんそんな味のキャンディーを食したことはない。どんな味だろうと、口の中に放り込んだら、さあ大変。これがとんでもないほど不味い。米の味と言えば米の味なのだが、飴玉から流れ出る甘みが米の味……、ワシャの処理能力の遅い脳みそでは理解不能のものだった。これも品がないけれど、すぐに吐き出そうとしましたぞ。しかし、その刹那に考えたことは、「この飴の不味さは天がワシャに与えたもうた嘗胆ではなかろうか」と。
《越王句践国に反り、身を苦しめ思いを焦がし、胆を座に置き、坐臥するごとに即ち胆を仰ぎ、飲食するにもまた胆を嘗むるなり。曰はく、なんじ会稽の恥を忘れたるか、と。》
 ワシャは、その世にも恐るべき飴をバリバリと噛み砕き、平然と嚥下したのだった。でも、蒸した赤貝は無理だったことはすでに書いた。
 ワシャの決意など、米飴<蒸し赤貝程度のものですわ(笑)。 

 おお、今日はオードリー・ヘップバーンの誕生日であったか。85年前の今日、銀幕の天使はこの世界に舞い降りた。ワシャを映画小僧の世界に引き込んだ張本人がオードリーだった。思えば長い付き合いになったものだ。