史記

 東アジアの黎明である。BC3000年頃、彩文土器を特色とする文明が支那大陸東部に発生する。BC1500年以降に殷という王朝が現われる。その後、BC1027年に周(西周)が興きる。この王朝は徳川幕府と同じくらいの時代を治めてやがて滅亡する。BC771年東周の時代になって支那世界は乱れる。いわゆる春秋時代の幕開けである。面倒くさいことは省くけど、要するに地方の諸侯が乱立して内戦を繰り返す状態になったわけですな。その中に、後に天下を統一する秦(支那の語源でもある)も含まれている。この時代の争いを記した『史記』の中で「傍若無人」「逆鱗に触れる」「狡兎死して走狗亨られ高鳥尽きて良弓蔵めらる」「臥薪嘗胆」「三年鳴かず飛ばず」「鹿を謂いて馬と為す」「四面楚歌」、「刎頸の友」「管鮑の交わり」「合従連衡」などという有名な故事成語が造られていく。
 用例としては、「傍若無人」な上役に諫言をして「逆鱗に触れる」。ビッグプロジェクトも終了したので「狡兎死して走狗亨られ高鳥尽きて良弓蔵めらる」。「臥薪嘗胆」すれども「三年鳴かず飛ばず」。周囲は「鹿を謂いて馬と為す」言説ばかりになり、会議に出れば「四面楚歌」のような状態である。しかし圧倒的な強敵に対しても、「刎頸の友」「管鮑の交わり」の「合従連衡」によって「善く戦う者は、その勢により、之を利導す」、な〜んて使うんでしょうね。
 最後の「善く戦う者……」も『史記』の中に出てくるが、先にざっとならべた故事成語ほどは有名ではない。
 とくに「臥薪嘗胆」について触れておくと、これは呉と越(現在の浙江省、上海の南の地域)の王それぞれの復讐へのエピソードから生まれている。呉王のほうが「臥薪」で越王が「嘗胆」である。まず、呉が越に敗北し、王がその結果として死ぬ。死の直前に「越王がお前の父を殺したことを忘れるな」と言い残す。このために息子は薪の上に臥して復讐を忘れなかった。
 その後、また戦う機会がおとずれ、その時は呉が勝つ。敗けた越王は呉王に徹底的にへりくだり屈辱的な和睦を結び、命だけは助けてもらった。そして肝を舐めて屈辱を忘れず、7年後に呉王を下し、北に伸張し中原に覇をとなえるのである。呉王が夫差(ふさ)、越王が匂践(こうせん)という。ワシャ的には命を長らえるためにプライドを捨てた匂践より、少し考えの甘く、最終的に自害して果てた夫差のほうに好意を持つ。
 それにしても権力争いとは凄まじきものでありますな。