山村留学

 長野県の山あいの村では、夏休みが短い。その分を冬休みに回し、トータルでトントンの休みになる。ワシャの知っている村は、夏でもクーラーが要らないくらい涼しい。だから子供たちも、快適な夏に勉強をしたほうが絶対にいいよね。だからこの制度はいい制度だと思う。
 そこで過疎の山村は考えた。この前倒しをする2学期に、まだ夏休みの下界の子供たちを「山村留学」で誘引できないだろうか……と。
 これが当たった。町の子は山村の夏休みに憧れた。2学期の直前の山の暮らしに、続々と集まってきた。そりゃそうだろう。入道雲、川遊び、麦わら帽子、木登り、ヒグラシの声……。

 ワシャも子供の頃の夏休み山村留学をした。留学なんて格好のいいものではない。山流しと言ったほうがいいかも。
 物心がついたころには、毎年、東美濃の山あいにある母の実家に送り込まれていた。母親が、ひ弱で野性味のない育ちのいい息子(笑)を心配して、大陸の戦争からもどって山仕事をしていた叔父のところで鍛えてもらおうと画策したのだ。当時、母親は仕事をしていたので、手のかかるガキを体よく山里へ追っ払ったのかもしれない。
 だから幼い頃の夏休みの半分ぐらいは、矢作川の最上流の谷あいにへばりついたような叔父の家で過ごした。
 母に伴われて里帰りをする。2泊くらいは母親と一緒にはなれで寝起きをする。ところが3日目に母は町に帰ってしまう。ワシャは幼稚園に入ったばかりのクソガキで、中学生の従兄に連れられて、野山を走り回って遊んでいた。夜も花火をしてくれたり、みんなが猫の子を可愛がるように構ってくれるので、楽しいまま眠ってしまったのだろう。
 翌朝、はなれで目を覚ますと、独りぼっちだった。母の布団は片付けられ、八畳の部屋の真ん中にワシャの布団がポツンとあるだけ。これが孤独感を増幅する。ガキンチョはわんわんと泣き出してしまった。これはけっこう鮮明に覚えている。
 ワシャの泣き声を聞きつけ、高校生の従姉が飛んできて、いい子いい子して、飴玉かなんかをしゃぶらされて、ようやく泣き止んだ。
 その後、母親が朝一番のバスで帰ったことを告げられて、また泣いて、それでも朝飯を食べて、大好物の焼酎漬けの梅を喰うと、これが不思議に元気になる。て言うか、焼酎漬けの梅ってアルコールが含まれてますよね。幼稚園児がこれを喰えば小さい梅でも酔っぱらいますぞ。要するに酔っているから気が大きくなって吹っ切れたのである。叔父たちもそのことが判ったのか、ワシャには焼酎漬けの梅をよく喰わせてくれた。酔っ払ったガキンチョは裏山のイノシシとだって闘えるのだった。ガオー!

 今はもう叔父も叔母も鬼籍に入っている。ワシャをなだめてくれた従姉も亡くなった。代替わりが進み、縁遠くなって、矢作川の最上流にいくこともなくなった。
 でも、夏になると、晩夏になると、開けっぴろげた座敷の真中にゴロンと横になって、裏の山から吹いてくる涼しい風に身をまかせて、矢作川ごしに奥三河の山々を眺めながら、ヒグラシの声を聴きたいなぁ……と思う。

 たまたま昨日の午後に会議があって「山村留学」の話題が出た。その報告を聞きつつ、ワシャの脳裏には東美濃の風景がよみがえっていたのである。ちゃんと報告を聞いていろよ、という話か(笑)。