デンデンムシノカナシミ

 相手がどんなに非礼であろうと、天皇皇后両陛下は微笑みをもって対応されている。「娘の世話をしなければならないので行けない」という無礼なミッシェル夫人は、国民的には許せないが、両陛下はそのことも含めて、アメリカを包み込んでいただいた。日本は天皇家という伝統、歴史があってほんとうによかった。
 1998年、皇后陛下はインドニューデリーのホテルで開催された国際児童図書評議会において基調講演をなさった。畏れ多いことながら少し引かせていただく。
《まだ小さな子供であった時に、一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことがありました。不確かな記憶ですので、今、恐らくはそのお話の元はこれではないかと思われる、新美南吉の「でんでん虫のかなしみ」にそってお話しいたします。》
 とお話しされる。原文は「青空文庫
http://www.aozora.gr.jp/index.html
にある。掌編なので、そちらで検索して読んでもらえばいいと思うが、皇后陛下の要約がすばらしいのでそちらを引いておきます。
《そのでんでん虫は、ある日突然、自分の背中の殻に、悲しみが一杯つまっていることに気付き、友達を訪ね、もう生きていけないのではないか、と自分の背負っている不幸を話します。友達のでんでん虫は、それはあなただけではない、私の背中の殻にも、悲しみは一杯つまっている、と答えます。小さなでんでん虫は、別の友達、又別の友達と訪ねて行き、同じことを話すのですが、どの友達からも返って来る答は同じでした。そして、でんでん虫はやっと、悲しみは誰でも持っているのだ、ということに気付きます。自分だけではないのだ。私は、私の悲しみをこらえていかなければならない。この話は、このでんでん虫が、もうなげくのをやめたところで終わっています。》 
 新美南吉が22歳のときの作品である。南吉の年譜を見ると、この時期には東京中野の新井薬師の下宿に住んでいる。3畳ばかりのせまい部屋だがそこで若者は「悲しみ」について想いを巡らせた。22歳と言えば、まだまだ小僧なのだが、なかなかしっかりした思考を持っていたんだね。

 4月21日に日垣隆さんの『折れそうな心の鍛え方』(幻冬舎新書)に触れた。実はその中にも「デンデンムシノカナシミ」が登場する。
《「自分は誰にも理解されない、特殊な事態に陥っている」という思いは、奇妙な自己陶酔を生みます。悲劇の主人公のように自分の苦しみに自分で酔いしれ、自分の中でストレスという毒をいっそう増殖させてしまうのです。苦しみは確実にあるけれど、べつにそう珍しいものではない。この事実を受け入れれば、ガス抜きするアクションに移ることができます。》
 優秀な人たちは、みんなお見通しなんですね。「デンデンムシノカナシミ」はみんなが持っている。そういうことなのだ。