まだ南吉を引きずっている。というか、少なくとも一年は南吉を抱え込んで走っていくことになると思う。
南吉には素晴らしいファンがいた。
美智子皇后陛下である。皇后さまは、平成10年にインドで開催された第26回国際児童図書評議会ニューデリー大会の基調講演でこう仰られた。
《まだ小さな子供であった時に、一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことがありました。不確かな記憶ですので、今、恐らくはそのお話の元はこれではないかと思われる、新美南吉の「でんでん虫のかなしみ」にそってお話いたします。》
皇后さまは、この後に読書の大切さを縷々お話しされるわけですが、その導入部としてご自身のブックスタートが新美南吉であったことをエピソードとして取り上げられた。
これが御縁となり、天皇皇后両陛下が愛知県半田市の新美南吉記念館を平成22年にご訪問されたことは記憶に新しい。
その南吉作品の中に『良寛物語 手毬と鉢の子』という作品がある。昭和16年、安城高等女学校の教員時代に書かれたものだ。『校定 新美南吉全集』(大日本図書)の解題に依れば、昭和16年1月4日から書きはじめ、同年3月上旬に脱稿。それを女学校の教え子たちに浄書させ、東京の出版社に送っている。
この作品は400字詰め原稿用紙で290枚余、南吉のラインナップの中では長編に属する。これを女学校の公務をこなしながら2カ月あまりで書き上げているわけで、その筆力に感じ入るばかりである。
あとがきに南吉自身が書いているが、早稲田大学の校歌を作った相馬御風の手による『大愚良寛』、西郡久吾『沙門良寛全伝』、画家で良寛研究家でもあった津田清楓などの書籍を参考にしていて、無為の人、良寛の生涯を描いている。文章はじつに読みやすく、子供たちの心に沁みとおっていくに違いない。
物語は、年代順に並べた17のエピソードから成っている。いわゆるオムニバス形式の創作と言っていい。それぞれが良寛の人柄をあらわす感動的な物語で、第16話の「船頭の試み」では思わず涙してしまった。ううむ、南吉畏るべし。
『良寛物語』、いい作品なのでぜひお読みください。
随分と遠回りをしたが、本日はその良寛の命日である。新暦で言えば2月18日である。東海地方なら梅の花も咲き始め、日によっては暖かい頃である。しかし越後の海に臨む国上山の五合庵には容赦なく雪が降り続き、極寒の時期であったろう。良寛の歌にもある。
「埋み火に足さしくべて臥せれどもこよいの寒さ腹にとほりぬ」
腹にとおる寒さって分かりますか?そんな春まだ遠い山の庵で、良寛は清貧の人生を閉じた。
話があっちこっちに飛んでいってまとまらないけれど、それは毎度のことなのでお許しを願う。ただ、『良寛物語』を再読してみて、良寛の子供の頃の印象が南吉のそれと重なってくる。昨日、南吉の作品には「孤独感、寂寥感のようなものが流れている」と書いた。大愚良寛の生き様も――晩年に貞心尼が登場するにしろ――やはり「孤高なる寂寥」のようなものが横たわっているような気がする。あるいは南吉が三十路前にその人生を閉じずに、老域まで生き永らえたとして、良寛のような生き方を実践したのではないか、そんな気がしてならない。