触れたくはなかったんですが

 コラムニストの勝谷誠彦さんが、メルマガで腐していた昨日の天声人語
 冒頭に歌川広重「名所江戸百景 浅草金龍山」
http://matome.naver.jp/odai/2133509477908996701/2133509480108997703
の絵の話をもってくる。この書き出しに対して、勝谷さんはこう言われる。
《大雪の話を書きたいのだろうが、まったく意味がなく、オノレの教養(いまネットで調べたのだろうが)を誇りたいがための出だしである。》
 おっしゃるとおりだと思う。それに、この絵は「江戸百」の中でも、かなり有名な絵で、江戸好きや、浮世絵好きにはポピュラーなものと言っていい。わざわざ高給を食む天声人語氏が、看板コラムで「おれはこんな江戸文化も知っているぞ!」とばかりに取り上げる情報ではない。
 だったらこっちのほうが一般的に知られていなくて面白いかも。
http://project.lib.keio.ac.jp/dg_kul/ukiyoe_artist_detail.php?id=36701
「江戸名所 浅艸金龍山雪中」である。
「江戸百」のほうは、雷門から仁王門の方向を眺めている。「江戸百」にはいろいろな謎が隠されているのだけれど、そのことについては、原信田実『謎解き広重「江戸百」』(集英社新書)をご覧あれ。
 有名ではない「江戸名所」のほうである。ワシャは前々から、この絵が腑に落ちない。この絵の当時、極印が弘化4〜嘉永5年とあるから幕末ですわなぁ。この頃の五重塔は、現在と違って、ちょうど仁王門をはさんだ反対の東側にあった。だから「江戸百」で見るとそういう位置関係にあるでしょ。
 今度は「江戸名所」を見ていただきたい。絵の中央に堂が描いてある。その右奥に五重塔が見え、手前に池があって、そこに橋が掛かっている。手前に写っている池は伝法院の池だろう。右端手前には小高い築山のようなところがあって、その上に小さなお堂がある。
 当時、浅草寺周辺には池は一か所しかなかった。それが伝法院の池なのだが、池の方向から仁王門越しに五重塔を見ることはできる。しかしその場合、入母屋の妻側が屋根の右側にはこない。そのあたりは『江戸名所図会』(ちくま学芸文庫)で確認したので間違いない。それに右端手前の小高い築山と小さなお堂であるが、石段があるところをみると、仲見世通りの東にある浅草弁天だと思う。そうなるとこのフレームの中にそれら4つのものを入れ込むことは不可能なのである。ありえない風景が描かれている絵ということで、まことにおもしろい。

 いかんいかん、また本題から大きく逸脱してしまった。天声人語の話だった。
 つまり、「江戸百」の「浅草金龍山」という絵を導入部にして、今回の記録的な大雪の話を書いたというだけの文章である。
「27センチ積もりました」
「事故や渋滞が起きました」
「アーケードなどの屋根が落ちました」
 すでにニュースで報道された事実を後追いで書いているだけである。そして《雪とたたかう北国の厳しさのほんの一端かもしれないが、週末の荒天に思い知らされた。》と締めて、はいおしまい。ひねりも切れ味もない。
 本来は、身近な問題を、縦、横、ななめ、あるいは裏側からでも切りこんで寸評の中にまとめ上げるのがコラムの醍醐味だろう。なのに昨今の天声人語は読むも無残な状態に陥っている。今から朝刊を取りに行くんだけど、今日のも酷いんだろうなぁ。