コンビニについて

 昨日の天声人語がコンビニの弊害について触れている。
「お茶を淹れる」という文化が薄れてきたと嘆き、コンビニエンスストアでお茶を買うようになったからだと理由づけをしている。
 確かにそういう要因もあるだろう。しかし、きちんとした家庭では相変わらず、お茶は自宅で、急須を使って淹れるものであることは間違いない。少なくともワシャの知っているかぎりの友人、ご近所、親戚で、急須のない家庭を知らない。とくに愛知県には、急須づくりでは定評のある常滑焼がある。だから、急須は他地域と比べて普及していると思う。ワシャの家はきちんとした家庭ではないが、そんなところにだって急須の10個くらいは転がっている(笑)。その日の気分によって、今日は常滑焼、今日は織部、今日は南部鉄瓶……と取り替えて、お茶を楽しむ。
 天声人語氏、《授業では急須を直接火にかけようとする生徒もいたという。》と驚きを隠さないが、おいおい、南部鉄瓶の急須はそのまま火にかけることもできるので、それほど驚くことでもない。
 いけない、どうも天声人語だとつい絡みたくなってしまう。そんなことはどうでもいい。注目したいのは、コラムニストの勝谷誠彦さんが、たまたま1月27日のメルマガで、やはりコンビニエンスストアに対して苦言を呈していたことである。
まぁ勝谷さんのコンビニ批判は毎度のことなので、それ自体で驚きはしないが、その翌日に、勝谷さんの天敵の朝日新聞が、呆けてはいるが似たようなことを言っていたので笑ってしまった。それが冒頭の話である。
 天声人語氏とは違い、さすがに勝谷さんのほうは、フォーカスがピタリと合っている。引用した記事はこれだ。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130127-OYT1T00005.htm
 63歳のオジサンが煙草を買った。そうすると店員が「年齢確認ボタン」を押せと言ったのだそうな。これは未成年への販売を防止するためのシステムなのだが、百歩どころか百万歩譲っても63歳はどうみても未成年には見えないだろう。しかし、「未成年ではない」と宣誓しなければ煙草を売ってくれない。このことにオジサンは切れた。
こういったごく一部の違反者(この場合は煙草を求める未成年者)を排除するために多数の人間に余分な労力を強いることを「馬鹿基準」と勝谷さんは命名している。店側の言い逃れのためだけに、どう見てもオッサンである人間にボタンを押すことを強要している。オジサンはこのシステムに抵抗したのだ。勝谷さん、このニュースを前振りにして、コンビニ業界が流行させようと画策している恵方巻へと話を展開する。勝谷さんは恵方巻きを《コンビニでいま横行しているのは「人として最低なことのススメ」である》と言う。
 この指摘は、ワシャも大いに賛同するものである。そもそも、この風習は、大阪船場の旦那衆が飛田新地の廓で、女郎たちを集め男根に見立てた巻寿司をくわえさせて笑いものにするという実に下品な遊びから始まっている。そんなものはキャバレーかどこかで成金とホステスとでやってろ。家族団欒の茶の間で親子がやることではない。そんなものを全国的に普及させるなど愚の骨頂だ。
「コンビ二は美しい伝統文化を壊す」という意味で、勝谷さんと天声人語ははからずも一致した見解を示したので記しておく。

 日曜日に名古屋能楽堂を訪なう。名古屋宝生流の定式能があったからね。出し物は「西行桜」と「鶴亀」。狂言は「鬼瓦」である。演目としては、どれもやや退屈なものになる。ただ、新春を寿ぐといった意味からすれば、よいラインナップだと思う。
 地謡の声にゆられながら、すてきな午睡のひと時を過ごす。極楽極楽。
 その後、友だちと矢場町まで歩いて、そこから地下鉄で金山に出た。金山ではいつもの店にしけ込んだ。そこでおいしいつくねをいただいて、甘露なお酒を楽しんだのだった。めでたしめでたし。