毎日、天声人語からショックを受けてしまう

 それにしても「天声人語」どうしてしまったのか。このところ(ずっと前からだったけど)ひどすぎないか。一昨日は島崎藤村で、昨日は清元節かよ。冒頭を引く。
《いかなる作用によるのか、七五調のリズムは日本人の心になじみやすい。三味線音楽の流派である清元節(きよもとぶし)に「忍逢春雪解(しのびあうはるのゆきどけ)」というのがあって、立春過ぎの余寒が雪を呼ぶいまの季節にぴったりあう。》
まず《いかなる作用によるのか、七五調のリズムは日本人の心になじみやすい》ってマジに言っているのだろうか。七五調のリズムは、それこそ万葉の時代から培われてきた日本語・日本人の音調と言っていい。
 それなのに、「いかなる作用」も、ないものだ、「おまえはあほか」と、いうことなのだ。
 おっと、ついつい五七五七七になってしまった(笑)。
 天声人語氏、そんなごたくを並べつつ、強引に「忍逢春雪解」という清元節を引っぱってくる。《大雪の恐れという天気予報を聞いて、名高い調べが頭に浮かんだ》そうな。すごい想像力だなぁ。
 ま、いいや、でもね、この曲はそりゃぁ名高い。これは歌舞伎の「天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)」、いわゆる河内山宗俊の第六幕で流れる清元節だからね。だが、あまり一般的ではない。天声人語を読んでいる人の中で、宗俊を知っていて、その物語の中に流れる清元節を聴いたことのある方がどれほどいるだろう。勝谷誠彦さんの言う「おれは知っているもんねの所作」と言っていい。
 この天声人語氏は、間違いなく文芸畑出身である。朝日新聞の本社から近いので、歌舞伎座にずいぶん通い詰めたのだろう。取材費と称する会社の金でね。
 以下のURLは、清元「忍逢春雪解」の一節が聴けるので、試してみてくだされ。
http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc8/deao/kiyomoto/
 でもね、河内山宗俊の第六幕を見たことがあっても、清元は六幕全編に流れている。ここで聴ける一節も、残念ながら天声人語氏の言う《立春過ぎの余寒が雪を呼ぶいまの季節にぴったりあう》個所ではない。この人の言いたいのは、入谷大口屋寮の場の冒頭に、清元連中が唄うところである。この人、引用がお得意なのだが、ここでもまた、清元を引いて40字ほど字数を稼ぐ。楽な商売だなぁ(笑)。
《書いているだけで、足元から冷えがのぼってくる心地がする。》
 しないって。
《小欄、東京が白くなって筆を執るたびに、雪国の方(かた)から「その程度で」とお便りが届く。数センチなど、雪国では塵(ちり)が舞ったほどだろう。》
 これも使い古された言い回しだな。情けないことにワシャも昨日の日記で佐呂間町の友達をつかって似たようなことを書いてしまった。ま、その程度の作文力だわさ。
 その後、天声人語氏、天気予報をそのまま写したような文章を羅列し、250字を浪費する。切れ味が勝負のコラムという文章に、なんだか余分な贅肉がつきまくったダブンダブンした駄文だ。そして締めである。
《「雪は天からの手紙」と言ったのは中谷宇吉郎博士だった。春の雪はありがた迷惑ながら、南から送られてきた春の便りでもある。滑らず転ばず、痛い便りにならぬよう、気をつけたい。》
 中谷宇吉郎の『雪』(岩波新書)は、日本を代表する科学の名著である。実は、ワシャの参加している古典読書会の2月の課題図書がこの本だった。でも、朝日新聞を読んでいる人で、中谷宇吉郎を知っている人がどれくらいいるのだろう。もちろん読書家の方や、あるいは科学に造詣の深い方などは当然のように知っておられるのかもしれない。しかし、そうではない人もいる。「入試に出るから書き写せ」としきりに言うくらいだから「天声人語」の読者は中高生も対象として考えておくべきだろう。そう考えると、唐突感がぬぐえない。せめて「物理学者の寺田寅彦の弟子である中谷宇吉郎」とか「日本を代表する名著を書いた科学者である中谷宇吉郎」とかの説明があって、はじめて読者はストンと腹に落ちるのである。
 とことん「知ったかぶりの所作」を決めて、言いたいことは「滑るな転ぶな」というお粗末である。この人、本当に天野祐吉さんの「CM天気図」を書き写したほうがいい。

 昨日の雪のおかげで所用がずれ込んでしまって、今日はちょいと忙しい。だから午前4時前から書庫にこもっていたのだが、陽が出てくるとそとでガサガサ!と物音がするではあ〜りませんか。朝刊を取りに外へ出てみると、東向きの屋根の雪が溶けて落ちてくる音だったんですね。
 日記を書いている途中で、軽く朝食をして、朝刊をくつろげた。今日の天声人語も相変わらずひどいなぁ(笑)。
 さて、義理ごとを済ませなければいけないので、出かける準備をしなくっちゃぁね。