今朝の「天声人語」が回りくどい(笑)。「だ」率も高く、こんな文章を書き写していると本当にアホになる。
冒頭の文である。《戦前から戦中にかけて、新聞や雑誌はときに検閲で発禁処分となり、損失に苦しんだ。》
まず「だ」で終わっている。そしてこの一文だけで「はは~ん、あいちトリエンナーレのネタだな!」って判ってしまうでしょ。ひねりもなんにもあったもんじゃない。続く第2文が《印刷を終えたのに販売できなくなるからだ。》で、また「だ」だ。
コラムを構成する文のうち「だ」で終わる文が10%を超えると悪文、15%を超えると幼稚の領域に入ると、作家の日垣隆さんは言っている。ワシャもそう思う。
その基準からいうと、今朝の「天声人語」は19文中5文が「だ」終わりで、「だ」率2割6分で、幼稚の域に達している。
まぁいいや。幼稚な「起こし」を受ける「承」である。
戦前の報道規制・検閲についての事例を示して、コラムの中ほどに至って、ようやく《愛知県で開催中の芸術祭に国が補助金を交付しないと発表したからだ。》と、またもや「だ」文で、今日の核心の正体を表す。遅いっていうの!
そして「転」だけど、「脅迫電話」、「警備が必要」、「国への事前報告の未実施」、その結果の「補助金不交付」のあらましが6行にわたって記載されている。でも、そんなもの短いコラムの中で縷々述べるネタだろうか。すでにそんなことは2日も前に報道されている。イワシの刺身なら腐っているぞ。
そしてコラムはラストに向かってハチャメチャになっていく。
国の対応が「後出しじゃんけんだ」と叫ぶが、おいおい、天声人語くん、そもそも国の補助金など大方「後出し」なのである。そんなことは全国津々浦々どこの自治体でもいいから行って聞いてこい。小さな町の小さな補助金だって「後出し」である。補助金の実績報告、請求書などに不備があれば、交付されないのは当たり前。今回の文部科学省の対応はなにも間違っていない。
そして「天声人語」は、最後に大きく事実を履き違えて(もちろんわざとだが)、「結」に至る。
《求められるのは脅迫や妨害に立ち向かうことなのに、これでは後押しをしているように見える。》
違う。確かに「脅迫」はあった。しかし、重要な問題は、これほどまでにひどいプロパガンダを許して、公費を使って公共施設で展示してしまったことである。
その点は、左寄りの大村知事でさえ、芸術監督の津田大介氏を悪者にして「ジャーナリストとしての野心を芸術監督としての責務より優先させた」と指弾しているではないか(この指弾もおかしいけれど、脇道にずれるのでここでは言わない)。芸術監督の責務でないことをやってしまった、そのことは間違いだったと大村知事は認めている。
にも関わらず、「天声人語」は陳腐な締めの言葉をもっともらしく書く。
《芸術には訴える力があり、それを抑えつけたい人がいる。いつの時代も同じかもしれない。》って、何が言いたいのあんた。
ただ、これほどまでにひどい「天声人語」でも、たった一つ役に立つことがある。「天声人語」がこう言ったのである。ということは、「天声人語」の示す反対側にまともな正解があるんですね。「天声人語」を読み終えて、ワシャは「なるほど」と深く頷くのであった。「天声人語」よ、ありがとう。