友人の通夜

 夕べのこと、亡くなった友人の通夜に顔を出した。たまたま会場係が最前列の席に案内をしてしまったので、親族席のすぐ際に座ることになってしまった。ワシャの並びは、なんだか偉そうなオジサンばっかりで少し居心地が悪かったが、今さら席を動くのも失礼なようで、まぁそこで我慢することにした。
 導師が入場し読経が始まる。親族の焼香が終われば、前に座っているのですぐに番が回ってくる。友人の奥さんと二人のお子さんに会釈をして焼香台の前に進む。遺影に敬礼をして、2度焼香をして合掌する。現職の死だったので参列者も多い。お子さんの友人なのだろうが、高校生もやたらと目立った。どうだろう老若とりまぜて500人くらいはいたのではないか。焼香の列は40分程も途切れなかった。
 焼香が終わると、喪主である奥さんがあいさつをされた。その中で友人の最期の様子が語られたのだが、昨年末に退院する時に主治医からは最終通告のようなものがあったとのこと。「しっかり養生していって運がよければ数年」というもので、それに対して友人は「下の子が大学に入るまでは生きたい」と答えたそうである。
 その願いは叶わなかった。でもね、しっかりしたお子さんじゃないか。お兄さんのほうは、今、受験の真っ最中なのだそうな。彼たちなら父親の死をバネにしてきっと彼らにふさわしい大学に進んでくれることだろう。安心していいよ。
 喪主のあいさつが終って式は散会となった。その時に「故人との最後の対面をなされるかたは祭壇にお進みください」とアナウンスが入った。ワシャの知人が誘ってくれたが、「ごめんなさい、とても顔を見られなくって……」と、祭壇に向かう流れにたった一人逆流して葬儀場から外に出たのだった。
 千秋万歳おくれども、ただ稲妻の間なり。いずれそっちに行ったときには案内を頼みまっせ。 

 それはそれとして、最近のというか、昨日の葬儀場のシステムについていいたいことこれあり。
 とくに夕べはひどかった。最初の受付が機械なのである。なんだかパチンコ台のようなものが数台置いてあって、そこにタッチパネルがある。そこの画面に触って、電話番号やなにかを入力し、受付カードを作成しないと、その横にある本受付で香料を渡せない仕組みになっている。
 ワシャが会場入りしたのが10分前だった。その時、そのパチンコ台前には150人くらいが並んでいた。おいおい……こんなことをしている間に式が始まっちまいますぞ。ワシャはすぐに列を外れ、手持無沙汰にしている本受付の顔見知りの係員に香料袋を手渡す。
「課長、受付カードがないとご遺族につながりませんよ」
「いいよ、気持だもの。後々ご挨拶をいただこうなどとも思わないし、香典返しもいらないから」
 と言い残して、そそくさと会場入りをしたのである。

 それから焼香の時にも葬儀社のおざなりな対応が現われた。参列者が500人はいようかという通夜である。おそらく焼香に時間がかかるであろうことは判っていたはずだ。祭壇の前には焼香台が6基すえてある。「人数の割には少ないな」と思ったものである。もう少し小規模な葬儀でも、祭壇の前に4〜6基、会場の入り口あたりにやはりそれくらいの基数を揃えてあるところもある。足りなければすぐに増設すればいいだけのことだわさ。それをしない。だから祭壇前の焼香台に人は集中するのは当りまえだ。
 ワシャは運がよかった。たまたま、前に誘導されたために焼香順位が早かったので、ゆっくりと友人に語りかけることができた。ところが、焼香が半分くらい済んだ頃だろうか、アナウンスが入った。
「お時間の関係もございますので、丁寧な一回焼香でお願いします」
 これは流儀もあるだろうが、二度あるいは三度、焼香をする人もいる。ワルシャワ家では二度と決まっている。それが導師の都合なのか、会場の都合なのか、ご遺族には確認をした形跡がないので、おそらく会場の都合――他の通夜も入っていたので、駐車場の都合だとワシャは見ている――だと思う。葬儀場の都合で、参列者の回向のやりかたに口をはさんでくるとはおこがましいにも程がある。だから、故人との大切な別れの場が、流れ作業になってしまった。
 それに、一階のロビー脇には墓石の展示場があって、なんなんだ、この葬儀場は。ここで葬儀を挙げるとずいぶんぼられるという噂を聞いたことがあるが、そりゃご遺族にしてみれば墓石も欲しいかもしれないが、いくらなんでも葬儀場の入り口で売る必要はないと思った。
 ここは使わないほうが無難だな。

 出来の悪い葬儀場の話で終わっては後味がよくないので、蛇足ながらこんな話を。
 実は、この葬儀にワシャは礼服で行った。結婚式であれば襟にはラペルピンやアクセサリーを施すところだが、葬儀なのでそういうわけにはいかない。でも襟がさみしいなぁ。なにかいいものはないかと考えていて「ピン!」ときた。あのバッチを付けて行こう。
 葬儀場でワシャの礼服の左襟には黒い小さな「執行委員バッチ」が光っていた。このバッチ、中学校の時の生徒会役員が付けていたものなんですよ。故人はワシャと一緒に生徒会の執行委員をやっていたんでね。最初から最後まで、そのバッチに誰も気がつかなかった。でも、それでいいんだ。