ある葬儀

 昨日、葬儀があった。場所が遠いところで、岐阜の山間の小さな集落。ワシャの最寄駅からでも3時間はかかる。広島に行くほうが近いじゃん、という辺鄙なところである。それでも午前11時の葬儀ときいていたので、早朝に家を出た。乗り換えること3本、田舎の無人駅に降り立ったのは、9時を少しまわった頃だった。
 このところ寒い日が続いていた。昨日は雨も心配されていたでしょ。だから防寒には気を使って、何枚も着込んで行った。でもね、日陰には残雪があるものの、ポカポカした日よりで田舎の枯れ野を歩いていると、汗ばむほどだった。
 葬儀場には、10時前には着いていた。ところがだ。何人かの親族はいるだろうと思っていたのだが、これが外れた。葬儀場は空っぽだった。亡くなった叔母さんの最後の顔が見られると思っていたのだが、荼毘に付すために火葬場に出た後だった。「ええーっ!」てなもんですわ。このあたりの地域は葬儀の前に親族で荼毘に付して、お骨にしてから葬儀をする。ああ、思い出せば祖母の時もそうだった。まず、火葬場で骨にしてから、その御骨を持ち帰って、三日三晩の葬儀をしたものだ。この地域はそういった葬儀の風習だったことを思い出した。
 なにしろ愛知県でいくつもの葬儀に出たが、荼毘に付してからの葬儀は皆無だったので、驚いたものである。しかし、荼毘に出席しようとすれば、泊まりで来なければならない。それは仕事もあったので難しかった。叔母さんごめんね。

 葬儀は11時きっかりに始まった。ワシャは親族席の末席に座った。御導師様が入場する。合掌して迎える。1人、2人……3人、多いな。4人?……5人……6人!……おいおい、「七人の侍」ならぬ7人の坊主がが壇の前に進んで行った。
 叔母は普通の主婦である。ご主人も単なる田舎のお爺さんだ。とくに大地主ということではないし、地元の名士というわけでもない。それが7人の僧侶というのは、愛知県では、少なくともワシャの地元では、地元の有力者でもせいぜい3人が普通だろう。なにしろワシャが出席した葬儀では一番多かった。あるいは臨済宗妙心寺派とのことだったので、その宗派は多坊主主義なのかもしれない。やはり葬儀というものは地域性が強いなぁ。
 とにかく読経が始まった。これが7人だとなかなか迫力がある。ワシャはそれほど読経が好きだったわけではないが、このところ、お経のCDを買って聴いていたので、耳馴染みがよかった。ついつい読経に身を任せているうちにウトウトしてしまった。これが気持ちいいんですね。読経というものにはこういった癒しの効果もある。また読経だけでなく、導師以外の6人が、引磬(いんきん/手持ちの鈴)、太鼓、鐃鈸(にょうはち/シンバルのようなもの)を奏で、かなり賑やかな葬となる。たっぷり20分の合奏のあと焼香も当然のことながらお経は続く。ようやくひと段落したのは喪主挨拶の時であった。その後も再び読経が始まったので、都合40分程は朗誦を聴いていたが、飽きることがなかった。

 それから別室に移っての直会(なおらい)で、久々の親族が打ち揃うのだが、一族の長のワルシャワ家の爺さん婆さんは遠路のために来ていない。といってもワシャが上座に座るのも気が引けたので、やっぱり隅のほうで静かに飲んでいた。
 でもね、久しぶりの親戚衆もいるので「ワーくん、大きくなったねぇ」とか言いながら注いでくる。ちなみに親戚の年輩の方はワシャを「ワーくん」と呼ぶ。このオッサンをつかまえて大きくなったもないものだろうが、まあいいや。「あ、どうもご無沙汰しています」とか答えながらぐいぐい飲んでいたら、すっかりできあがっちまった。
(つづく)