中世の闇

 21世紀になっても、この後進性はいかばかりであろうか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131213-00000659-wsj-int
 人に罪を問うにしても、弁明すらさせず、問答無用で死刑にするなどおよそ文明国の手続きとは言えない。未だに彼の国は中世の闇の中にあるようだ。
 それにしても、機関銃での処刑というのは、死に逝く者への敬意というものがまったく感じられない。支那文明には、死者への冒涜があたりまえのように行われてきたという長い歴史がある。その影響下に延々とあった朝鮮半島もそういった文化を継承しているのだろう。
 特別軍事裁判という魔女裁判の中で張成沢氏の罪を問う公式文書が読み上げられた。それを読めば読むほど、張氏が北朝鮮をなんとかしようと奔走していたようにも思える。
 事実は分厚い壁の向こう側にあることなので、判断は難しいが、もしかしたら張氏は愛国者だったのかもしれない。亡命せずに最後まで北に踏みとどまり命を縮めてしまった張氏は、1997年に韓国に亡命したファンジャンヨブ氏よりもある意味で責任感があったようにも見える。

 権力闘争の敗者の最期はいつの時代も悲惨だ。喰うか喰われるかの結果なので仕方がないとはいえ、地位も名誉も剥奪され、親類縁者、関係者まで迫害される。戦国末期の、太閤秀吉による関白秀次の追い落としもそうだった。いわゆる「秀次謀反」事件である。
 秀吉は豊臣政権の次の代を甥の秀次に託した。ところがその後、茶々が懐妊し、男児を出産する。後の秀頼である。己の唯一の継承者は秀次だと思っていたが、実子が出来たとなると事情が変わってくる。このために秀吉と秀次の間で権力闘争が起きる。秀頼の誕生が数年遅ければ、秀次はおそらく生き長らえたであろう。しかし、まだ秀吉が権力を掌握している段階で秀頼は生まれ成長している。秀次が「反秀頼」の烙印を押され排除されるのは、当然の帰結と言ってもいい。
 その結果として、秀次は高野山に追われ、切腹を命ぜられ、その一族郎党は三条河原の露と消えた。
 殺生関白と言われた秀次ではあったが、それでも武士として切腹という名誉だけは与えられている。なにもかも剥奪して、機関銃で掃射するなど人に対する刑罰ではない。

 少し明るさの見えていた北朝鮮だったが、再び恐怖の闇の中に埋没してしまうのか。