殺生石

 コラムニストの勝谷誠彦さんが、金のために支那中国に媚びる経済人のことを書いて辛辣だ。経団連の米倉会長などのことだが、辛辣すぎて引くに引けない。
 今朝の朝日新聞に、先月お亡くなりになられたコラムニストの天野祐吉さんの特集がある。その中に今年の7月の「CM天気図」が載っている。
《金だ金々 金々金だ 金だ金々 この世は金だ……》
 冒頭に演歌師の添田唖蟬坊(あぜんぼう)が1925年につくった「金々節」を紹介している。この「金々節」、まさに勝谷さんの言うどこぞの国に媚びる拝金主義者を痛烈に皮肉ったものである。
 そして天野さんも勝谷さんよりいくらか上品に「今は金勘定のニュースが最優先みたいだ」と嘆いておられた。
 あるいは、You Tubeで、電通やNHKの批判を展開している立花孝志さんなども頑張っている。
 こういった方々の発信を見ていると、少しだけれども潮目が変わってきたのかなぁ……と思う。勝谷さんも立花さんも言っていることだが、ネットという情報発信があってこそのことで、あるいは隣国で政権がグラグラしているのも同根なのかもしれない。

 おっと、今日のお題は「殺生石」だった。勝谷さんのメールと朝日新聞の特集を読んだので、ちょっと脇道に逸れてしまったわい。
 その殺生石である。百科辞典的に言えば「火山地方または温泉地方の噴気孔付近の岩石につけられた俗称で、噴気孔から噴出する亜硫酸ガスなどで、鳥類や昆虫などが死ぬことから、こう呼ばれている」ということ。
 全国の火山地帯には数多くの殺生石があるわけだが、その中でももっとも有名なものが栃木県那須野にあるものである。この殺生石は「能」にもなっていて、実は、昨日、名古屋能楽堂に「殺生石」が掛けられて、それを観に行ったんですぞ。
 物語は、
「僧が那須野を通りかかると、大石の上で鳥が急死するのを目撃する。不思議に思っていると里の女がとおりかかり、朝廷に仇をなした九尾の狐が封じられているという石の由来を語る。そして自分こそが石の魂の化身であることを告げ去っていく」
 ここまでが前場
 中入りがあって後場は、
「因縁を知った僧が石の供養をすると、怪しいキツネが現われて、封じられたときの様子を語り、再びは悪事を行わないと誓って成仏する」
 という1時間ほどのドラマである。シテを宝生流二十代の若き宗家が舞う。なかなか見どころにある能で、ワシャのような素人にも楽しめた。
 狂言の「太刀奪」(たちうばい)もおもしろかった。このところ成長著しい野村又三郎がいい演技を見せる。何百年もの時を超えて、室町時代の笑劇が、現代人からも爆笑をとっている、この不思議さはいかばかりであろうか。この伝統文化を絶えさせてはいけないと思い、せっせと入場料をはらって通っている。もちろん悲劇である能も同様で、この奥深い伝統芸能を、つまらないテレビドラマやバラエティに置き換えてはいけない。

 さて、能も狂言もそれなりに満足をした。しかし、席が悪かった。正午過ぎに能楽堂に入ったのだが、およよ、すでに開場されているではないか。いつになく早いなぁ。席を見れば、能舞台の正面のいいところはほとんど埋まっている。まあそれでも階(きざはし)から少し右寄りの席が確保できた。地謡の1列目が柱の陰になって見えないけれど、とりあえず良しとしよう。
 それはいいんだけれど、その後、ワシャの右隣にジャンパー姿の老人が座った。能楽堂を訪れる老人は正装をしていることが多い。男性なら背広やジャケット、女性なら和服であったりよそ行きの服装だ。ところがお隣さんはなんとなくくだけている。嫌な予感があったのだがそれが的中した。
 席に座る早々にズックを脱いで靴下の足をワシャのほうに向ける。ううむ、なんだか臭いますぞ。その上に「野宮」の前場からいびきを掻いて眠り始めたのだ。寝るなとは言わない。でもいびきは掻かないでよ。さすがにいびきには隣に座っていた奥さんが気がつき、ゆすり起こしてくれて事なきを得た。
 ところがだ。まもなくいびきを掻かずにワシャの肩にもたれかかって寝てしまったのじゃ。いびきを掻かないので奥さんも気づかない。爺さんの鼻息がワシャの耳元でするんですぞ。そんな殺生な(泣)。

 本日は、殺生な席のお噺(実話)でした。おあとがよろしいようで。