蝉丸

 昨日、名古屋能楽堂で「蝉丸」を観る。

蝉丸というのは、百人一首で「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」を詠った蝉丸法師のことである。醍醐天皇の第四皇子で、琵琶の名手であり歌人でもあった。

 逢坂山の庵に幽居し、夢枕獏さんの『陰陽師』で活躍する源博雅とも交流があり、蝉丸自身も『陰陽師』の話に登場している。

 逢坂関は、京を守る東の関であり、逢坂の関を越えて東山道が始まる。その関にいたる坂の神と蝉丸が集合し「関明神」として祀られたと『無名抄』にある。

 お能の「蝉丸」である。実はワシャの知人が能舞台に登場するということで、声をかけてもらったので、能楽堂まで足を運んだ。

 お能の「蝉丸」はざっとこんな話です。

 

 皇子の蝉丸は生まれつきの目しいだった。これは前世の罪であろうと、父の帝は、臣の清貫に命じて、蝉丸を逢坂山に捨てて出家をさせる。そのことを不憫に思った博雅三位(はくがのさんみ)が小屋を建てて献上する。

  一方、蝉丸の姉宮の逆髪(さかがみ)は心を乱して都を彷徨い、やがて逢坂山にやって来る。姉弟の再会が、甘美に舞台で展開する。

  最後に、互いの身の不運を嘆き合い、やがて逆髪はいずこともなく立ち去っていく。

 

 ワシャの知人はシテの逆髪を演じた。知人は素人なのだが、長い間、観世流の学び、この度初の面をつけての舞台となった。その他の出演者は、皆さんプロでアイの博雅三位を狂言方野村又三郎がつとめたし、囃子方も有料の能舞台で拝見するプロばかりが居並んでいる。そんなことからも見ごたえのある舞台となった。

 

 しかし、名古屋能楽堂には、どうだろう100人くらい入っていただろうか。会場全体のキャパから考えると、閑散とした入りと言っていい。これは、有料のプロのお能でもそうである。残念ながら、一般の人には取っ付きにくいというか、ワシャが友だちを誘う時には事前に「謡曲」の写しを渡すか、ストーリーをあらかじめ説明しておく。それでもお能という芸能はかなり敷居が高い。

 だから、文楽のように「字幕」を採用すればいいと思っている。シテ柱、目付柱、ワキ柱が客席に面を向けているじゃないか。そこに語りの文を流していくだけでも、舞台の理解は随分と進むはずである。

「定めなき世のなかなかに憂きことや頼みなるらん~」とのべられても、現代人にはなかなか言葉として消化しにくい。しかし、目で確認するとなんとなく解かるでしょ。さらに言えば、「現代語訳」を流せば一層の理解がはかられること請け合いですぞ。

 文楽はそれでかなり浸透している。お能も大切な伝統文化であるので、ぜひとも、一般に解りやすい形態を採り入れていただけるとありがたい。

 

 本題にもどす。

「蝉丸」の主題は「生き変り、死に変わり、魂は、絶えることなく流転していく。この世のおこないが、後の世を、良いものにも悪いものにもする。後の世の幸せを願って、今を慎み、戒め、修行していくとことが大切である」ということではないか。そんな「仏教的宿縁観」がにじんでくる「蝉丸」であった。

 あ~おもしろかった。