五機の零戦

 たまたま、YouTubeを見ていてこの映像に当たった。まだ、三宅久之さんがご健在のころの「たかじんのそこまで言って委員会」の動画である。最初から6分30秒ほどをご覧いただければいい。その後の田嶋陽子などの御託は聞いても腹が立つだけだから。
http://www.youtube.com/watch?v=9NlCRCs0xLo
 三宅さんは涙を流された。金美麗さんも感動した。もちろんワシャも必ず泣く。
戦時中の少年たちが女性というものを知らずに、戦場に散っていった。そのことを憐れんだ肉親たちが、せめて花嫁人形でも……ということで、靖国に奉納されたものである。3分20秒過ぎに、お国のためにその命を投げ出した少年兵の遺影が映るが、その面差しの中に幼さが残っている。
 三宅さんは言われる。これらの若者たちの尊い犠牲によって今の平和がある、そのことを、今を生きる我々が忘れてはいけないと……。

 昭和19年5月にはニューギニア北部、ソロモン諸島などがアメリカの支配下にはいる。6月にサイパンが陥落し、本土空襲が可能になった。この状況で、普通の知識と感覚をもった人間ならば、戦争の継続は「不可」と判断するだろう。しかし、秀才エリートばかりの大本営は、まだ「戦争は可能だ」と判断をする。
アメリカのニミッツ軍とマッカーサー軍は、資源大国の物量を背景にして、太平洋の中央と南側からフィリピンに迫っていた。
かたや日本は「欲しがりません勝つまでは」でまことに乏しい備えで暴風のような米軍を迎え撃つのである。
69年前の昨日、フィリピンのレイテ島沖で日米の艦隊が衝突をする。世に言う「レイテ沖海戦」である。レイテの緒戦を「シブヤン海海戦」という。この時の彼我の戦力が『太平洋戦争 海戦ガイド』(新紀元社)に載っているが、圧倒的に米軍が優っている。
(日本軍)戦艦5、重巡10、軽巡2、駆逐艦15
アメリカ軍)空母11、戦艦6、重巡3、軽巡6、駆逐艦41
 総隻数で倍の開きがある。この状態ではそもそも戦ってはいけない。そんなことは『孫子』にだって明確に書いてある。その判断ができなかった大本営は本当に大馬鹿野郎だ。

 翌25日、日本軍はついに禁じ手を使う。神風(しんぷう)特別攻撃隊である。関行男大尉以下の5機が、それぞれ250キロもの爆弾を抱えて敵空母に体当たりを敢行した。関大尉、5月に結婚したばかりの26歳であった。