思えば遠くに来たもんだ

「思えば遠くに来たもんだ 十二の冬のあの夕べ 港の空に鳴り響いた 汽笛の湯気は今いづこ」
 武田鉄矢ではないですよ(笑)。夭折の詩人、中原中也の「頑是ない歌」という詩の冒頭である。中也は、昭和12年に31歳で亡くなったから、没後76年になるのか……。

『詩とファンタジー』という季刊誌がある。先日お亡くなりになられたやなせたかしさんが責任編集をしておられた雑誌だ。そのナンバー23が昨日の夜、手許に届いた。
 今号の特集は詩人の「堀口大學」である。その特集にやなせさんの文章を寄せている。
 この中でやなせさんは「詩を読むときに詩人の名前も詩の一部として見る」と言う。特集の堀口大學について「かたいし、大學という字がいばっているみたいでいやだった」と吐露される。反対に、中原中也立原道造谷川俊太郎などの名前がお好みなのだそうな。
 詩にうといワシャなどは、堀口大學立原道造も同じような印象だが、中原中也については、やなせさんも言っておられるが、名前に「中」の字が重なっていて、それだけでも詩を感じるような気がする。それに堀口大學は「ほり〈ぐ〉ち〈だ〉い〈が〉く」と濁音が3つも入っているのが、「なかはらちゅーや」って滑らかでしょ。
 本日10月23日が中原中也の命日なのだが、その命日の前日に、やなせさんの文章の中でたまたま中原中也の名前を発見したのが、なぜかうれしくて、日記を書き始めたというわけ。

 やなせさん、堀口大學に触れた文章の末尾で、堀口大學の最晩年88歳の時の詩を紹介している。

 お酒が僕の離乳食
 ポエジー教育勅語
 病気が僕の長命丸

 そしてこう結ぶ。
《夭折する悲劇的な詩人が多い中で功なり名とげた幸運な詩人のひとりであると思う。》

 やなせさんは『詩とファンタジー』の巻頭にも、挿絵とともに「編集前詩」を書かれている。これがとてもいい。
 報道では、ナンバー24の「編集前詩」が遺言となっているという。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131017/trd13101711170007-n1.htm
 部分を産経新聞が載せているので引く。
《「死ぬ時も/未熟のままで/かえって/よかったような/気もします」と記し、「天命」と題した遺作では、侍と骸骨が対面する絵柄に「ゼロの世界へ/消えていくでござる」》
 でもね、ナンバー23の「編集前詩」も深い。
 ナンバー23の詩を要約すると「今日生きたから、明日ぐらいまでは生きられるかもしれないと、我慢して生きてきたら、仲間はみんないなくなってしまった……」というような詩なんですね。
 堀口大學の89歳で鬼籍に入った。大學を5つも超えたやなせさんも、功なり名をとげた素敵な詩人だと思う。

 中原中也が「思えば遠くに来たもんだ」と言っているが、いやいや、まだまだ……31歳では、それほど遠くに来たとは言えまい。やなせさんの94年の人生の旅程を振り返るとき「思えば遠くに来たもんだ」の感慨が真に湧いてくるのではないか。そんなことを思った。