鳴神(なるかみ)

 歌舞伎十八番の内の一つである。来月の錦秋名古屋の顔見世興行の初っ端を飾る演目だ。主役の鳴神上人橋之助が、雲の絶間姫を扇雀が演じる。
 物語はさほど複雑ではない。京都北山の岩場にある庵に鳴神上人が住している。上人は朝廷のために加持祈祷を行い成果をおさめた。このために祈祷所の建立を願い出たが、実行にうつされず、これを恨みに思った上人は日の本の雨を司る龍神龍女を庵の横の滝壺に封じ込めてしまう。だから、この1カ月余り地上には一滴の雨も降らず民百姓は困窮していた。思案を重ねた朝廷は、宮中第一等の美女である雲の絶間姫に特命を与えて北山に派遣するのであった。その命とは「色をもって鳴神上人を籠絡し行力を失わせしめよ」というものである。
 全国津々浦々の龍神龍女をひっつかまえて、封じるだけの霊力をもつ上人であるが、なんとまあ男という生き物は健気でかわいい生き物であることか。魅力的な女性を前にすると、霊力などすっとんで無力な子供になってしまう。
 上人、まんまと雲の絶間姫の色香に惑わされ、酒を飲まされて、龍神龍女を解き放つ秘法を洩らしてしまうのだった。
 雲の絶間姫は、エージェントとしての仕事を完璧に遂行した。それに引き替え、鳴神上人のマヌケさといったらありゃしない。すこしエッチで、それでいて純真無垢な鳴神を橋之助がどう演じますことやら。
 見どころは二代目の尾上松緑がこう言っている。
「『鳴神』の勝負どころは、絶間姫に色仕掛けでそそのかされてのお酒の件りです。絶間姫にたらされているあいだのユーモアのあたりの愛嬌が見せどころなんです」
 松緑の言うとおり、鳴神が絶間姫の乳にふれるあたりの健康的なエロチシズムから、後半の怒りに荒れ狂う鳴神の荒事など見どころは満載だ。
 歌舞伎研究家の郡司正勝も『歌舞伎の美学』(演劇出版社)の中で《「鳴神」「毛抜」などにみられる陽気な好色性である。この好色性は、上方における傾城買の二枚目風な〈やつしごと〉の伝統とちがう、江戸の荒事系とでもいうべきものであったとおもう。》と言っている。カラッとしたエロチシズムとでもいうんでしょうかね。なにしろそのあたりを楽しんでくだされ。
 あわせて、会話劇としての歌舞伎を堪能できる一作でもある。これは歌舞伎脚本としては珍しい。橋之助扇雀も「セリフ術」ということでは技量が高いと思うので、そのあたりも楽しみの一つであろう。
 また、脇の白雲坊、黒雲坊にも注目をしたい。この二人の出来が、ドラマの盛り上げを担っているからである。ここを名脇役が押さえると、全体のテンションが高くなっていく。歌舞伎は主役さえ良ければいいというものではないのであ〜る。片岡亀蔵新橋演舞場で黒雲坊を演じていた。彼ならば名バイプレーヤーなので安心して観ていられる。
 錦秋歌舞伎、楽しみだなあ。