プチ北東アジア史

 高校の教科書(山川出版社『詳説世界史』)から引く。
《1931年9月、日本の関東軍は中国東北地方(当時日本では「満洲」とよんでいた)の柳条湖で鉄道を爆破し、これを口実に軍事行動をおこして、東北地方の大半を占領した。これが満州事変で、軍部は国際社会の注意をそらすために、32(昭和7)年には上海事変をおこした。日本の軍事行動は国際的に批判され、中国の提訴で国際連盟リットン調査団の派遣を決めた。32年3月、清朝最後の皇帝溥儀を執政(のち皇帝)にすえて、満洲国を建国させた。》
 記述はこれだけである。「鉄道爆破してそれを口実に満洲を占領した」ということしか説明されておらず、教科書だからしかたないのかも知れないが情報が少なすぎる。しかし丹念に読んでいくとバラバラに散らばった情報の破片が見つけることができる。
 まずは、ざっと50ページほど戻らなければならない。「帝国主義の時代」と言われる19世紀後半である。ここでロシアの南下政策に触れている。
《国内市場のせまいロシアは、シベリア鉄道建設などの国家事業によって国内開発をすすめ、アジア・バルカン方面への進出をはかった。》
 帝国主義にやや遅れたアメリカも、太平洋の島々に触手を伸ばし、王国があったにも関わらずハワイを強引に併合した。またスペインとの戦争でグアムやフィリピンを得て、アジア大陸進出への足掛かりを築いている。実際に、東南アジアでイギリス、フランスと手を組んで北上をはじめた。それにあわせて、シベリアからベーリング海をわたって東アジアの北部に浸出しようとしている。
 アヘン戦争、アロー戦争などを切っ掛けにして、イギリス、フランスが清帝国を侵してくるのもこの時代だ。前述のロシアも軍事的圧力のもと、満州族の地(中国東北部ではない)である黒竜江以北の広大な土地を植民地にしている。その2年後には沿海州を併呑した。いいですか。ロシアは着実に満州族の地をじわじわと蚕食し、ついに日本海に出た。次に狙うのが満洲であり、その先の朝鮮半島であり、あわよくば日本列島もロシアの版図に入れ込めれば、太平洋にその橋頭堡を築くことができる。帝国主義とはここまで考えていくものなのである。すでにアフリカ、中東、南アジアは欧米列強に切り分けられそれぞれの植民地にされている。残っているのは、東アジア、シナ大陸とその周辺の島嶼のみとなってしまった。
 残念ながら、こういった世界において夜郎自大な国家、旧態依然とした国家は、結果として他国の食い物にされるだけなのだ。後世に唾を飛ばして喚いても、歴史を真摯に読み込めば、それが事実なのだから仕方がない。己の小ささ弱さを知る日本は、さっさと国を開いて欧化により富国強兵を進めた。ゆえに植民地にならずにすんだのである。国を開かず、大国のはざまで朝鮮は時代の読みを誤った。アメリカがハワイを併合したように、日本が併合しなければ確実にロシアになっていたことは間違いあるまい。
同時期の清帝国は、北京のすぐ北までロシアの勢力範囲になっている。日露戦争で日本がロシア勢力を追い出さなければ、現在の中露の国境は万里の長城あたりだったかもしれない。
 歴史は一本の線でできている、そう考えるのは間違いである。歴史は、細かい糸が輻輳しときには絡まり合って紡がれている。そんな複雑な状態でつながっているものに、これは白、これは黒と単純に色分けできるものかどうか、よほどの阿呆でなければ簡単に理解できるだろう。
 それを70年も過ぎて、わあわあ喚いて自分たちの正義を主張する輩のいかに愚かなことか。

 いかんいかん、ちょいと時間を過ごした。そろそろ出勤なのでこの続きはまたの機会に……。
 今日は、満州事変から82年目の日。