中国という傍迷惑 その4

(上から続く)
 せっかく枝野幹事長代理がいいことを言っているのに、
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20100924-728653/news/20101002-OYT1T00660.htm
 前原外務大臣がそれを打ち消すかなぁ。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20100924-728653/news/20101003-OYT1T00510.htm
中国の政治体制が一党独裁である以上「良き隣人」になんかなれっこないことをこの人は理解していると思うのだが……。「報道2001」でも歯切れの悪いすっとぼけたことを言っていたが、どうしちゃったんだろう。

 コラムニストの勝谷誠彦さんが、冷戦の崩壊後その国家群の動きは「統一」よりも「分裂」の方が多いと前置きをして、こんなことを言っている。
《「分裂」の方がはるかにコストが低いのである。「統一」はパワーがいる。》
支那は「統一」を無理やり維持しつづけるために、莫大なコストを人民の間から搾取し続けている。》
 どうして中国はこんな簡単なことに気が付かないんだろう。13億で固まろうとするからコストがかかって仕方がない。もう少し小さい単位にすればずいぶんと楽だろうに。

《国家には適正なサイズがあるんです。せいぜいフランスぐらいでしょうか。ちょうど四川省と同じくらいの大きさですが、四川省はいつまでたっても四川省です。フランスは文明を生み出してきた。北京の一つの政府だけで、ヨーロッパ全体より広いところをコントロールするのは無理です。どうしても粗暴な、国内帝国主義になる。》
 上記は、司馬さんが平成6年に台湾総統李登輝さんと対談をしたときの発言である。この対談は「街道をゆくシリーズ」の『台湾紀行』に収録されいる。この本は極めて明快な文明論でもあり、台湾を通して中国の有様を映し出していて、興味深い。対談のまえがきに司馬さんがこんなことを書いている。
「この対談は『台湾紀行』の番外編のつもりである。たれよりも、大陸中国のひとたちに読んでもらいたい。」
 残念ながら、物事を客観的に見るという学習をしてこなかった大陸中国は、司馬遼太郎を右翼作家と位置づけ認めていない。自分たちを客観的に見つめる意識を育てない限り彼の国はいくら威張り散らそうとも三流国の誹りを免れることはできないだろう。