はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢっと手を見る

 石川啄木の写真を見ると、彼の手は文学者らしく華奢で細く薄くガラス細工のような印象を受ける。「はたらいて、はたらいて……」というような手には見えない。

 NHKの番組で「ぐるっと食の旅 キッチンがゆく」というものがある。朝、BSで「あまちゃん」の後に放送されているので、出がけにチラッと視野に入る。2〜3日前だったかなぁ。女優の三倉佳奈が、富山県射水市で名産のシロエビを味わうということだった。そこでシロエビの加工工場に行って、生のシロエビを食べるシーンで、「殻がむけな〜い」とか悲鳴を上げていた。それもそのはずで、三倉の爪は白いネールでゴテゴテになっている。あれでは指先が不自由で細かい作業はできまい。見かねた女性従業員が、爪の切りこまれたきれいな指先でエビの殻をツルッとむいて、三倉に手渡していた。
 あまいな〜。食の番組ではないか。物を食する時、指は必ず使うものである。箸を使う。ナイフ、フォークを持つ。指でつかんで直接食べる。グルメ番組では、あるいは口よりも指の方が画面に映る頻度が高いのではないだろうか。
 なにを言いたいかというと、エビもまともにつまめないような、ネールを施してくるんじゃない。それも白く長いネールだったので、幽霊の伸びた爪を思い出してしまったわい。

 新潮社のPR誌の『波』9月号。ワシャが毎号楽しみにしているのが、斎藤明美の「高峰秀子の言葉」である。今回のお題は【手って、有難いね】。この中で、高峰はこう言う。
「男の人で手が薄いって、何となくイヤだと思わない?」
 何も、力仕事さえできれば男は偉い、というようなことを言っているのではない。そうではなく、男の手には「してきたこと」が表れると言っている。高峰の夫である松山善三の手は厚く無骨だったそうだ。
 高峰の言を引きながら前振りをした筆者の斎藤は、後段で高峰の手について語る。
《私が知る高峰秀子の手は、紛うかたなき“お母さんの手”だった。》
《ふいに高峰が右手の甲を揚げて、私に見せた。「ホラ、私の人差し指、曲がっているの」細くて白い人差し指は、第二関節から上が、中指の方に向けて曲がっていた。》
 女優として、作家として、長年にわたって働き続けてきた高峰の指先は、きちんと切り揃えられた爪が輝いていたそうである。

 ワシャの右手をぢっと見てみる。それほどごつくもないが、啄木のようにしなやかでもない。人差し指にペンだこがあたって、中指の方に曲がっている。キーボード全盛とは言え、やはりペンは毎日握っているから指が変形しているのだ。
高峰秀子と同じじゃん」
 なんだかうれしかった。

 それにしても、毎日、ペンを握って一所懸命に働いているのだが、我が暮らしも楽になりまヘン。