マッカーサーの言

 昭和20年の9月2日、東京湾の沖合にアメリカの戦艦ミズーリが停泊していた。この日の朝、正確に言えば、午前9時4分、日本の全権である重光葵と連合軍の代表たるマッカーサー元帥が「降伏文書」に調印をした。この時、5年にわたった太平洋戦争が幕を降ろしたのである。
 
「降伏文書」の前文にこうある。
「下名は、茲(ここ)に、合衆国、中華民国及びグレート・ブリテン国の政府の首班が、1945年7月26日ポツダムに於て発し後にソヴィエト社会主義共和国聨邦参加したる宣言の条項を、日本国天皇日本国政府及日本帝国大本営の名に依り且之に代り受諾す。」
 アメリカ、イギリス、中華民国、後にソ連が参加したポツダム宣言を日本が受諾し降伏するということの条項を受諾する、ということが書いてある。
 この調印式に先立ち、連合国の代表であるマッカーサーは演説を行った。この時の内容は、きわめて日本に好意的であったと、重光全権に付き従っていた外務省の官僚が証言をしている。
 また、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」で有名な演説では、
「日本ほど穏やかで秩序正しく、勤勉な国を知らない。また、人類の進歩に対して将来、積極的に貢献することがこれほど大きく期待できる国も他に知らない。」
「(日本が)世界の信頼を裏切るようなことは二度とないだろう」
「日本人は見事な意志と熱心な学習意欲、そして驚くべき理解力によって、戦後の焼け跡の中から立ち上がった。今や日本は、政治的にも経済的にも、そして社会的にも地球上の多くの自由な国々と肩を並べている。」
 とまで日本を評価している。
 はてさて、マッカーサーにとって、日本はまさに干戈を交えた敵だったわけではないか。彼の部下も多数が日本によって戦死せしめられている。銃身も冷めやらぬ時期に、これだけ好意的な発言をしてくれるとは……大人の対応と言っていい。
 グランドでいかに熾烈な戦いを繰り広げようとも、試合が終われば紳士と紳士ということなのだろう。
 ところが試合終了のホイッスルから70年の歳月を経てなお因縁をつけてくる国もある。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130830/kor13083023180003-n1.htm
《韓国外務省は30日、日本による朝鮮半島統治時代の「慰安婦」に関する報道官声明を発表し、韓国が要請している協議に日本側が応じていないことに「深い遺憾を表明する」とした。日本側に「歴史的な過ちを勇気を持って直視」し、元慰安婦の「痛みを癒やせる責任ある行動を示すべきだ」と主張した》のだそうな。
 いわゆる「従軍慰安婦」問題は、すでに結論が出ている。左巻きの方々がガタガタ言おうと、反証はことごとく済んでいる。それ以上、何をか言おうとするならば、その反証を覆してからすればよろしい。しかし、そんなものは朝鮮半島のどこを掘り返してみてもありはしないから、実力行使に出ているだけのこと。彼らが売春婦の像をアメリカ全土に据え続けているのも、そんな焦りからなのである。こんなことをやっているのは一部の韓国人だとは思うが、どうして彼らは歴史を客観的に見ることができないのだろう。

 マッカーサー朝鮮戦争の勃発とともに日本から朝鮮半島に飛んだ。そこで多くの朝鮮人接触しただろうし、半島の文化にも触れたと思われる。が、マッカーサーの口から半島への賞賛はついに出ることはなかった。