庭じゅうくまなく探したら、キノコは25本も見つかった。これが全部なめこだったら、今夜はなめこ汁にして舌鼓を打つんだけどね(笑)。
101年前の明治43年8月24日、大韓帝国は日本に併合された。これを現在の朝鮮人は口惜しがるのだけれど、そもそも朝鮮半島という地勢にあっては、周辺の大国の影響を受けることは、止むを得ない現実なのである。このことがあるから、古代より支那の覇者に対して三跪九叩頭で礼を尽くし、属国として永らえてきた。2000年にわたって「我が首領様」と拝跪してきた支那の清が、日本に負かされてしまったから、さあ困った。寄らば大樹の陰の大樹が倒れた。そうなれば2000年のDNAが「日本に寄れ」と囁くのである。
もちろん複雑な国際情勢、地勢的課題、国の強弱などが絡み合って、その結果の「併合条約」であった。一面的には語れないが、少なくともこれを促進した朝鮮人高官が多くいたことも確かだ。
とにかく、朝鮮半島は中世そのままで(あるいは古代だったかも)、欧米列強の歯牙の前に風前の灯だった。放っておけばロシヤ帝国が南下して、釜山はウラジオプーサンになっていたかもしれない。今頃は、ハングルではなくロシヤ語を話していたかもね。プーさんなら支那か(笑)。
作家の童門冬二は「植民地政策の一環」と言っていたが、欧米の植民地政策とはまったく違った統治施策を日本は採ったのである。だからまともな台湾からはいまだに感謝をされている。
司馬遼太郎から学んだワシャは、特異な歴史、特殊な民族性をもつ朝鮮民族とは、あまり関わりを持たないほうがいいと思っている。しかし101年前の今日、同じ国として取り込んでしまった。ここが近代日本の悲劇の始まりだったのかもしれない。
ようやく最近になって「朝鮮人慰安婦」や「朝鮮人応募工」が眉唾だということが、一般の日本人にも理解をされ始めてきた。1990年代なんかは、もう「慰安婦」支援の活動家が、雨後のキノコのように頭をもたげてきて、かないませんでしたぞ。
うちの庭のキノコは、ニャンコ先生と仲がいいので、そのままにしておきますが、くれぐれも反日毒キノコには中らないようにご注意くだされ。