攻める方向が違っていないか

 昨日の朝日新聞の社説がひどい。朝日新聞デジタル版は当日の社説しか読めないので、概要だけを記す。
『安倍首相が靖国参拝を見送った。支那・朝鮮との関係が冷え切っている。見送りは適切な判断だ。首相が「侵略の定義は定まっていない」と発言したが、対応を誤ると国際的に孤立を招く。昨日の全国戦没者追悼式典で反省やお詫びの言葉がすっぽりと抜けた。このことで、アジアの人々への配慮を欠いていると受け取られかねない。靖国参拝を見送りながら、逆のメッセージを発することにならないか。一部の閣僚や国会議員が大挙して靖国神社に参拝した。歴史から目をそらさず、他国の痛みに想像力を働かせる。こんな態度が、いまの日本政治には求められている』
 こんな内容ですわ。
 少し分解して読んでみよう。
 全国戦没者追悼式で安倍首相がアジア諸国への加害責任に言及しなかったことに対して、朝日の論説委員はこう言う。
《式典は、先の戦争への日本の姿勢を世界に発信する場でもある。加害責任への言及が消えたことで、アジアの人々への配慮を欠いていると受け取られかねない。》
 この文章には嘘が混じっている。「アジアの人々」というのは「特定のアジアの人々」ということで、支那中国、朝鮮半島といった限定されたアジアでしかない。要するに、戦後にずっと日本から利を得ながら一度たりとも感謝をしなかった2国のことである。これを「アジア」で一括りにするのは間違っている。
 後段でこんなことを言っているでしょ。
《歴史から目をそらさず、他国の痛みに想像力を働かせる。こんな態度が、いまの日本政治には求められている。》
 日本は戦後ずっと他国の痛みを理解し、日本国民が汗水流して稼いだ大切な財貨を支那中国や朝鮮半島に支援してきたではないか。朴槿惠大統領の父である朴正煕大統領が成し遂げた「漢江の奇跡」は日本の支援がなければ実現しなかったことは間違いない。そのことを朴正煕大統領はよく理解していて、日本の朝鮮統治を肯定的に評価していたほどだ。こういった真実の見える人物が国のリーダーにいなくなったことが、彼の国の悲劇であろう。
 日本は、他国の痛みを十分に理解してきたから68年もの長きにわたって、ハード・ソフト両面で、とくに、支那中国と韓国には支援をしてきた。行き過ぎた反省もしていたから、どんないちゃもんをつけられても、下を向いて忍耐し、金や技術を差し出してきた。もうそろそろいいのではないか。

 8月9日にも書いたけれど、「下級兵士の記憶」という連載もひどい。まだ続いている。なんの根拠も示さず、日本軍の悪行を「たった一人の証言」をもとにして書き連ねる、このやり方は、いわゆる「従軍慰安婦」の時と同じ手口であり、未だにこんなデマを拡散しようと画策している連中がいるのが悲しい。
 ワシャの母方の大伯父も支那戦線に駆り出されている。大正初めの生まれだから「下級兵士の記憶」を語る人の少し上の年代だ。この人が忌み嫌う古参兵の世代かもしれない。
 大伯父は、岐阜の山間で山仕事や農業をして生涯を過ごした。なにしろ山に入ると圧倒的に強い人だった。まだ幼かったワシャを背に担いで、一山でも二山でも歩き通したものである。性格はとても穏やかな人で、ワシャはこの大伯父が声を荒げたところを見たことがない。
 山の村の夜は早い。日が暮れればテレビもなかったので、楽しみと言えば、囲炉裏端での昔話くらいだった。そこでは、大伯父の支那へ戦争に行った話は、ワシャら子供たちの間でも人気の話だった。辛い話もあった。油臭いご飯の話だとか、ノミとか虱の話とか、重い装備を背負っての長い行軍だとか……。
 でもね、楽しい話もあった。内地から慰安に来てくれた劇団の話とか、支那の子供と遊んだ話とか、腹が減った時に農家で食わせてもらったトウモロコシの話とか……。
 身内として大伯父を死ぬまで見てきたが、嘘つきではないことだけは断言できる。きっと話せなかった部分もあるのだろうが、それでも子供心に「戦争って大変なんだな」と思った記憶がある。
「下級兵士の記憶」を語る元日本兵は、日本兵の悪行ばかりを語るが、けっしてそればかりではなかったろう。歴代兵士は何百万といたわけで、中にはこの人が語るような劣悪非道な兵隊もいただろう。ときには心を鬼にして銃を取らなければならない場面もあったかもしれない。しかし、それが全てではない。そういったこともあったし、そうでないこともあった。
 一部の日本兵も悪行を行ったが、支那兵もロシア兵もアメリカ兵もドイツ兵も戦場では鬼になった。戦争とはそういうことも起きる悲惨な状態なのである。
 だから戦争を起こしてはいけない。それはそうだ。でも、戦争状態でなくとも悪逆非道で残酷なことは行われる。実際に、チベットウイグルでは、人民解放軍が「下級兵士の記憶」のようなことをまさに、今、行っている。そのことから、この元日本兵も含め、日本の過去をことさらに暴き立てている人々は、現在の現実から目を逸らし続けているのではないか。
 70年前の悪逆を論う暇があるなら、今、アジアで行われている非道に対して毅然たる態度をとれ。声を上げろ。