《日中戦争の戦地で何が起きていたのか 従軍日記に「加害の日常」淡々と》
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a5e09d09a6af1a84ad1a7b5e4ad4b4e0a4ddf5e
これ、京都新聞の記事なんだけど、ちょいと注意をしたほうがいい。
「日中戦争の戦場で何が起こっていたか」
ワシャは今「戦場」と記した。記者は「戦地」と書いている。まずはこの違いなのだ。「戦場」の場合、そこは敵味方が入り乱れて戦う、その場のことであり、「戦地」は「戦場を含めた軍隊が出征している土地」のことで、当然のことながら通常の社会生活が営まれているエリアも入ってくる。つまり記者は意図して「戦地」としているんだね(笑)。
記事を読んでいただければと思うが、要するに支那戦線に送られた1人の兵士が綴った従軍日記である。この人、昭和12年8月に召集されて14年8月に帰国するまで、天津の戦闘や南京占領などに加わったという。図らずもワシャの叔父と同時期に支那戦線にいたことになる。南京事件が12年12月なので、そこに居合わせたのかもしれない。本を求めようと「e—hon」(全国書店ネットワーク)で探したんだけど、「現在ご注文できません」という表示が出てしまった。近くの大きな図書館で検索してみたんだけど、ここにも蔵書はなかった。つまり読んでいないので内容は分からないが、どちらにしても大卒兵士がある一面から記録したものであり、南京事件については、それ以外の膨大な資料などがあるので、そういったものと突合しながら検証していく必要があるだろう。
《目に付くのは、中国兵や民間人の命を奪う際の記述に感情がこもっていないことだ。「兵は刀にて頭を切る 土民(農民)は銃殺 女は逃す」「5名の連長及将校を捕す これはしらべても何も言はぬので殺す」》
「目に付くのは(中略)感情がこもっていないことだ」って記者は言うが、これって日記ですぞ。それも戦場からもどって認めたものであって、小説じゃないんだ。感情がこもっていなくて当然であろう。
さらに、戦場で敵兵を殺害することは合法なのである。それが銃であろうと刀であろうと手段や武器の種類は問わない。「土民(農民)は銃殺」は、この南京周辺での戦いは便衣兵が日本軍を悩ませていることがもとになっている。
便衣兵、つまり一般人のふりをして背後から日本兵を攻撃するという卑怯な戦法を使う。戦時国際法に違反しているにも関わらず国民党はそういった戦法を使って日本兵を殺害していた。当然のことながら土民に化けた便衣兵は戦時国際法違反だから銃殺となる。
「女は逃がす」というフレーズは、さすがは軍律厳しい日本軍であったと思わせる。これが軍律が徹底されないロシヤ兵なら「女は強姦した後すべて殺害」となるし、そもそも軍律のない支那兵だと「女は強姦した後、腹を割って内臓を出して食ってしまった」ということになりかねない。
そもそも支那戦線では、そういった連中と日本兵は戦っていたのである。その時の司令官であった松井石根将軍は、むしろ日本軍を制御し、現実に南京事件後の南京は平穏をとりもどしていたくらいだ。しかし、ロスケやチャンコロの言いがかりで、理性的で善人の松井将軍はA級戦犯として死刑に処された。
左傾記者は言う。
《序文では日中戦争の開戦は「東洋の平和の為 唯一の強国日本は正義の為に立つ時が来た」とあり、政府の主張を信じ込んでいたことが分かる。》
分かるって?
司馬遼太郎さんは、この時代のことを「鬼胎の時代」と呼んだ。ワシャもある意味でそう考えている。しかし、それが0か100かではないことも司馬さんは知っていた。確かに軍部の統帥権濫用による暴走はあった。しかし、それで日本政府、日本軍、日本兵、日本人を否定できるものではない。
もし仮に先の戦争で日本がせめてイーブンに持ち込んでいたと考えてごらんなさいよ。そうしたらチベット、ウイグルは間違いなく独立国として存続していたし、中国共産党が蹴散らされていれば、文化大革命などというおぞましいものは起きなかったし、天安門広場の大虐殺もなかった。
戦前の日本に統治された地域の状況を見てごらんなさいよ。朝鮮半島という歪なところは別として、台湾でも、東南アジアでも、南洋の島嶼でも、どれほど日本に対して好意的であることか。
そういった意味からもこの日記を分析してもらいたいが、寄贈先が、立命館大国際平和ミュージアムだからね、日本の孔子学院の本山とも言える立命館だからね~。
支那共産党のプロパガンダに使われぬよう、しっかりと監視したい。
作為的な記事としては、今朝の朝日新聞である。《尖閣領海に中国公船》の記事が1面0.22㎡の中に縦4.2㎝横5㎝=0.002㎡、つまり紙面の100分の1で領海侵犯を報じている。
同じ海域でミサイルを5発ぶち込まれ、さらに領海侵犯である。もっとでかく扱えよ朝日新聞。朝日の愛読者たちは素直だから、「この紙面の扱いなら大したことではなかろう」と多寡をくくってしまうのだ。
この作為は大きな罪と言っていい。なにしろ、テレビや新聞は鵜吞みにしないことが重要ですね。「統一教会」の広報誌とか「赤旗」を眉唾で見るように。