責任を取るということ

《菅元首相、原発事故で地検聴取応じず…告発否認》
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130813-00000632-yom-soci
 外国人献金問題などで追い込まれていた菅直人首相(当時)が、3.11の際に「しめた、これで政権を維持できる」と喜んだという話などどうでもいい。イラ菅と言われ、どこでものべつ大声を張り上げていたとしても、それも個性だ。
 でもね、東京電力福島第一原発事故の対応を巡り、業務上過失致傷などの容疑で刑事告発され、事情聴取を要請されたのなら、堂々と応じるべきだと思う。応じない言い訳が「事故対応には問題はなかった。それに政府首脳としての災害対応で、捜査機関の聴取に応じる前例を作れば、今後の危機対応に悪影響を及ぼす恐れがあるため」というのはいかにも卑怯である。事故対応に問題があったかなかったか、結果をみれば、あったに決まっている。しかし、菅首相は最善を尽くしたというならば、そのことを胸を張って主張すればいい。自分に責任がなかったというなら、その代わり誰かに責任があるわけで、その責任の所在を明らかにするためにも事情聴取に応ずべし。そのことが将来への大切な指針ともなる。逃げるな、菅直人

 菅元首相が「自分には責任はない」と言っているので、福島原発事故独立検証委員会の「調査・検証報告書」からそのあたりを見てみたい。
 委員会は言う。
「現場を混乱させることになるアクシデント・マネジメントに官邸が深く関与していった」
 そもそもアクシデント・マネジメントとは現場で行うものであり、ここに遠い官邸から、それも首相が関わってくると、最前線は無用の混乱と事故がさらに発展するリスクが高まる。なぜ官邸はアクシデント・マネジメントに首を突っ込んできたのか。委員会はこう結論付けている。
菅首相のマネジメントスタイルの影響である」
 つまり、菅直人が、どんな場面でも、どんな場所でも首を突っ込まないとおさまらない性癖を持っていたということである。この性癖がゆえに、翌12日に福島第一原発に行ってしまう。そのあたりの現場の混乱も報告書には克明に書かれている。少し引く。
《なおこの頃》というのは、海江田経済産業大臣から1号機2号機をのベントの指示が飛んで、現場での対応は大わらわになっている頃である。
《なおこの頃、吉田所長が菅首相の突然の訪問予定に難色を示し、東京電力との間のテレビ電話回線を通じて「私が総理の対応をしてどうなるんですか」などと激しいやりとりをしていた様子が目撃されている。》
 福島第一原発に向かうヘリコプターの中でも一悶着あった。同乗している班目委員長は菅首相にいろいろな懸念を伝えたかったと言っている。う〜ん、これも出鱈目委員長の言っていることだからどこまで信用できることか判らないが、とにかく《菅首相は「俺の質問にだけ答えろ」とそれを許さなかった。》のだそうな。
 福島第一原発に到着し、出迎えた武藤副社長があらましを説明すると《「そんな言い訳を聞くために来たんじゃない」と怒鳴った。》そうだし、結局、吉田所長も首相対応に駆り出され、事故対応ができない状況になっていった。
 事故の初動期にこの首相訪問がなされたことが、どれほど現場の停滞を招いたのか、冷静に書かれた報告書からもにじみ出ている。このあたりの正確をきするためにも、菅直人は事情聴取に応ずるべきだと思う。

 ブロンコビリーが怒った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130813-00000007-rbb-ent
 アルバイト店員は気楽な気持ちでやってしまったことだろうが、やったことには必ず責任がつきまとう、そのことを知るための授業料だと思っても、高い授業料だった。