2日前に零戦の強さのことを書いた。昭和16年12月8日の日米開戦以降、太平洋上で零戦は圧倒的に強かった。アメリカの戦闘機のP39、P40と大きさはほとんど変わらないのだが、重量的に零戦のほうが50%ほど軽い。翼面荷重が極端に小さいので、旋回性能が高い。この差は大きい。1対1で闘うドッグファイトにおいて、重く動きの鈍い米機は、軽量かつ運動性に優れた零戦の敵ではなかったのだ。昭和17年春から夏にかけて、零戦は太平洋の空に君臨した。
ところが零戦に対して思わぬところに伏兵がいた。敵は前ではなくうしろにいたのである。日本軍の中枢をになう自分を優秀だと信じてやまない軍官僚どもであった。何度書いてもため息がでるが、この秀才連中がいなければ、どれほど手堅い戦争ができただろう。時代は移っても、記憶力がいいだけの頭でっかちが、己の能力を過信して物事を壊していく事例は枚挙にいとまがない。
おっと、軍官僚の話だった。零戦の航続距離が長いことは以前に述べた。他国の戦闘機に比べ圧倒的に遠くまで飛べる。ここにアホな秀才君が目をつけた。「この航続距離なら基地から1000キロも離れた戦場にも行けるじゃん」ということで、机上で現場感覚のない用兵計画をどんどんと作っていったのだ。このために零戦と航空兵はきわめて過酷な条件下で闘わせられた。考えてもみてくだされ。戦場まで行くのに、零戦が飛んでいくのは、海また海の太平洋なのである。ちょっとしたトラブルでも着陸する場所は、海しかない。遠くに飛ばせばこういったリスクが出てくることに本土にいる軍官僚は気がつかない。このマヌケな計画で、どれほど多くの優秀なパイロットを失ったことか。
軍官僚が足を引っ張っている間に、アメリカは航空機の大量生産を成し遂げ、太平洋の空をアメリカの戦闘機で埋め尽くした。反対に日本には資源がなく、細密な工芸品のように航空機をつくっている。
「風立ちぬ」の中にも出てくるが、試作品の飛行機を名古屋の南にある工場から各務原の飛行場まで牛が運んでいたのである。のんびりとした風景ではあるが、これでよく戦争をする気になったものだ。
このあたりの銃後の後進性に、自称秀才たちは目を向けず、欧米との戦いに没頭していったのである。
太平洋、支那大陸を席巻した名機零戦の最大の敵は背後にいたのである。
今朝届いた朝日新聞がおもしろい。「ニュースがわからん」というコーナで、自衛隊の「制服組」と「背広組」に違いを問うている。朝日新聞は、「背広組」を事務次官を筆頭にした内部の事務部局、「制服組」を自衛隊に入隊した陸海空の自衛官のことだと定義している。それは正しい。しかし、その後に解説を付しているが、いわゆる「文民統制」を、この事務部局組、防衛省職員の文官が軍隊(自衛隊)を統制することとしている。が、それは違う。
「文民統制」とは、我々が選挙で選んだ大臣がきちんと役人に言うことを聞かせる制度のことで、そこに文官も武官もないのである。相変わらず朝日新聞はアホだな。
先の大戦の敗因は、選挙で選ばれた政治家のグリップが弱まって、視野の狭い官僚が力をもったために起きた悲劇であります。