いざ生きめやも。

 宮崎駿さんの新作「風立ちぬ」について韓国から批判が出ているという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130726-00001053-yom-ent
 ゼロ戦の設計者を主人公にしたことが問題なんだとさ。
 なにを言っていやあがる。ゼロ戦は日本人の誇りであり、朝鮮半島出身の日本兵にも誇りだった。性能は抜群だったし、航続距離は極めて長い。それになによりもそのフォルムが美しかった。無骨なグラマンF4F、ブルースターF2Aなど、ゼロ戦にはまったく歯が立たなかったものだ。
 東西を問わず、第二次世界大戦に登場した飛行機の中でもゼロ戦はトップクラスの名機であったことは論を俟たない。その名機の設計者を主人公にしてなにが悪いのか。日本軍に関わることはすべて「悪」であると考える韓国人の思考回路がよくわからない。
 戦争には彼我がある。双方それぞれに言い分はある。とくに一時期併合されていたとすれば、それはむかっ腹も立つだろう。相手のことをくそみそに言いたくなるのも分からないではない。
でもね、いいものはいい、いい作品はいい作品だ、という度量は持たなければならない。堀越二郎の技術者としての生き様は、斜陽のはじまった韓国にもきっといい影響をもたらすだろう。

 さて、宮崎さんの「風立ちぬ」である。
http://www.youtube.com/watch?v=-Q6pStcvr4U
 最初は、堀辰夫の「風立ちぬ」だと思った。しかし、どうも違うらしい。堀辰夫の小説には戦争は出てこないからね。それに主人公が堀越二郎で、前述したように、ゼロ戦の設計者である堀越は実在していた。小説「風立ちぬ」では堀辰夫自身が主人公で、最愛の人を看おくった経験がこの小説になっている。八ヶ岳山麓サナトリウムは、小説「風立ちぬ」から引っ張ってきたのだろうが、その他のエピソードは堀越二郎のエピソードを中心に紡いでいる。上記ユーチューブの「劇場予告編」のラストに美しい女性が登場し、こう告げる。
「震災の時、本当にありがとうございました。里見菜穂子と申します」
 里見菜穂子……いい名ではないか。声を女優の瀧本美織がやっている。実在の人物が多い映画「風立ちぬ」の中で、宮崎さんが創作したヒロインである。名前の「菜穂子」は、やはり堀辰夫の小説「菜穂子」から採っている。苗字の里見は「さとみ」という優しい響きを宮崎さんが好んだのではないか。あるいは「もののけ姫」の取材の時に読んだ「南総里見八犬伝」の印象が残っていたのかな。

 映像の中に出てくる「生きねば。」という言葉は、小説「風立ちぬ」に出てくるポール・ヴァレリーの「風立ちぬ、いざ生きめやも。」から来ていることは間違いない。そして、堀越二郎零戦』の末尾の章「零戦は生きている」から採ったのであろう。
 蛇足になるが、その最終章にこんなフレーズがある。
零戦は太平洋戦争の初期に連合軍の航空兵力を壊滅させることによって“無敵日本軍”という神話を作り出した。神秘的な運動性と長大な洋上行動力は、連合国に“無敵零戦”の神話を信じこませるような強制力を持っていた。》
 これは堀越二郎の言ではない。イギリスの航空評論家の言っていることである。これ以外にも連合国側から敵国の戦闘機「零戦」に対する評価は高い。
「これらはいずれも、かつては敵同士であり、当の零戦によって、幾多の人命と飛行機や艦船を失った国の人びとの言葉であるだけに、私はうれしい」
 堀越はそう言っている。

 冒頭に、映画「風立ちぬ」についての批判について触れた。批判をする国は、零戦と一度たりとも戦ってはいない。むしろ同胞として零戦に搭乗して連合軍と戦っていたのではないか。
 戦った人々が称賛し、戦っていない人々がケチをつける。ある意味で笑える。
 批判したければ批判をすればいいけれど、優れたモノは優れたモノ、優れた人は優れた人、と認めることが、その国の健全な技術発展に資するものではないだろうか。