零戦が飛ぶ

「いたるところで零戦は、日本軍の爆撃機、艦隊、陸上部隊のための道をひらいた」
 アメリカの著名な航空記者のマーチン・ケイディンは言った。
「日本軍の航空部隊は、ほとんど抵抗をうけないで、北部ニューギニア、ニューアイルランドアドミラルティ、ニューブリテン、ソロモン群島へと殺到した。そしてカビエン、ラバウル、ブーゲンビルの占領は、米国からオーストラリアそのものへの跳躍台にもなりかねなかった」
 緒戦の日本軍の強さをこう言いあらわしている。
「日本軍の勝利は、戦場上空の零戦の影で織りなされていた」

 昭和10年代、欧米は日本の航空技術・工業をきわめて過小に評価していた。しかし零戦が中国戦線に投入されるやいなや、欧米の戦闘機がことごとぐ零戦の餌食となり、日本の力を実感したのである。
 零戦の性能が欧米に伝えられると、各国の航空専門家たちは、その速度、運動性、火力、航続距離を「そんなことはありえない」と信じなかったものである。それほど当時の零戦はずばぬけた戦闘機であった。
 航続距離だけをみても、ドイツのメッサーシュミットが665km、イギリスのスピットファイアが756km、アメリカのグラマン・ワイルドキャットでさえ1360kmの対して、零戦は1870kmを叩き出している。こんな数値を見せられては、専門家たちが信用しなかったのも肯けよう。

 イギリスの航空史家は言う。
零戦は日本の運命を象徴していた。その戦闘機が優勢なときは日本の国民もまた幸福だった」
 まさに零戦は日本の誇りだった。

 日中戦争は、1937年に始まっている。日中戦争というから、日本と支那中国との戦争かというと、これがそうでもない。当時、中立の立場をとっていたアメリカから志願兵というかたちで、民間会社を隠れ蓑にして、陸続と日中戦線に武器や兵員を送っていた。当時の支那中国の空軍はきわめて貧弱だったので、その空の穴を埋めるためにアメリカは自国の空軍を戦線に投入したのである。まさに策謀であった。つまり、東洋の小国日本は、大陸で支那中国と戦っていたように見えるけれど、実は、中立という建前のアメリカやイギリスとすでに戦っていたのである。
 地上では、国民党の軍ばかりではなく、民間人のふりをして攻撃をしてくる便衣兵と対峙しなければならず、空は中立国のはずであるアメリカのカーチスP40戦闘機に悩まされていた。これが国際政治の実情である。一方的に日本が悪いと喧伝する輩は、もう少し当時の歴史を学んだ方がいい。
 ともかく、この戦線に零戦が投入され、一気に欧米の航空機を排除していくのである。これを日本国民が喚起しないわけがない。

 誰(たれ)が風を 見たでしょう
 僕もあなたも 見やしない
 けれど木の葉を 顫(ふる)わせて
 風は通りぬけてゆく

 あの時代を、零戦の設計することになる技師を主人公にして描いたジブリ作品が『風立ちぬ』である。
http://www.youtube.com/watch?v=-Q6pStcvr4U
 上に書いた詩は、その中で主人公の堀越二郎が口にする詩で、イギリスの詩人クリスティーナ・ロセッティの作品である。監督・アニメーター・プロデューサーの庵野秀明がその声を担当している。詩の朗読の声音としてはいいと思う。最初は違和感があったが、何度も聴き直してみれば、それなりに味わい深い。
 ただ、主人公の若き堀越二郎の声となると、どうであろう。いろいろと賛否があるようだが、ワシャ的には声に落ち着きがありすぎて、若さが感じられないのが、残念ではあった。
 ジブリは、糸井重里とか立花隆といういわゆる素人に声をやらせてきた歴史があるが、庵野さんの声は、少年のような面差しを見せる主人公の声としては、すこしとうが立っていると思う。
 堀越二郎は『零戦』(角川文庫)の著者としても知られる。その人の半生記なので、零戦がふんだんに登場するのかと思いきや、ラストもラストで、編隊を組んだ零が空を横切っていく……それだけだった。でも、その零戦の、見せることを惜しむような出し方が、また余韻をよんで印象的なラストとなった。