朝日新聞の噂話

寄生獣』『ヒストリエ』などの作者である岩明均が『剣の舞』という中編漫画を描いている。なかなかの名作だと思う。時代は戦国期、舞台は榛名山にほど近い城下町の設定だから群馬県。その町に剣術の達人(疋田文五郎)がいて、そこに男に化けたかわいい少女(ハルナ)が入門を乞うためにやってくる。実は、ハルナは近隣の百姓の娘で、前回の武田軍の攻撃の際に、雑兵に一家を皆殺しにされてしまう。自分も雑兵どもに凌辱されたが、なんとか隙を見て逃げ出した。家族の復讐をするため、剣術を身につけようと文五郎のところに寄宿するのである……。

 この続きは、コミックを読んでいただくこととして、何を言いたいかというと、今朝の朝日新聞の、ネガティブな記事を読んでいて、この作品を思い出した。
 その記事は地域総合版に載っているから、東海地方限定の特集なのかなぁ。「下級兵士の記憶」という特集で、今日の分で4回目である。三重県在住の元日本兵の記憶を基に構成されている。

 記憶は、残忍な日本軍、外道の日本兵にまつわるものばかりで、いくらなんでもそればかりではあるまいとも思うが、誰かにとって都合のいい、日本人にとって都合の悪い記憶ばかりになっても、その人個人の記憶なのだから仕方がない。
 この人の残虐行為の記憶を読んでいて、今まで流布されている「日本軍の残虐行為」のステレオタイプだなぁ、と感じた。聞いたり読んだりしたことが、自分が実際に体験してきたかのように記憶に定着してしまうというのはありがちな話ですわなぁ。
 そもそも記憶に基づく証言などというものは、根拠が示されない。ワシャだって見てきたような話はいくらでもできる。その話が受けると見れば、話はどんどん大きくなり、描写が刺激的になっていったりするものである。まぁ講談と思って聞けばいいのだろうが、社会の公器(笑)が紙面に載せるとなると、これはどうだろう。
 もちろんこの連載は、一人の元兵士の記憶だけが頼りなので、根拠らしいものはまったくない。万一、すべてが事実であったとしても、それはその元兵士のいた部隊での話で、「だから日本は酷い国なんだ」と拡大してしまうのは、あまりにも危険だ。
 そして、4回目の今日の分は、かなり作為的に作られている。
 まず、冒頭に元日本兵の記憶の吐露がある。
「全裸の女性が、靴だけを履かされ、乳飲み子を抱いて歩いていた」
 かなりショッキングな証言である。導入部で聴衆の気を引くにはいい手だと思う。話は続く。
「休憩中だった。疲れて衰弱している女性を見た古参兵が、歩くのに邪魔だろうと乳飲み子を奪い取り、谷底に放り投げた」
 これまた、悪辣な日本兵の所業が細かに描写されている。
 でもね、講談としてならいいけれど、歴史の証言というのならば、これだけではよく見えてこない。
女性も衰弱していたわけでしょ。衰弱していれば乳も出ないでしょ。その女性が抱いている乳飲み子が、はたして生きているかどうか。もしかしたら乳飲み子の遺体を抱いて歩いていた女性を見るに見かねて、
「もうこの子は死んでいるよ。辛いだろうがここに置いて行きなさい」
 そういったドラマがあったのかもしれない。なかったかもしれない。それは藪の中である。その場にいたのは――それも疑問ではあるが――元日本兵だけであり、その人物が「そうだった」と言えば他者にそれを覆すことは難しい。反面、その人物の話が真実であることを証明することも困難なのだけれど。

 残念ながら、戦争とは悲惨なものである。現在でも、中東やアフリカで虐殺が続いていることは周知のとおりだ。だからといって、当時、日本兵のやった残虐な行為がチャラになるとは思っていないが、冒頭に書いた『剣の舞』でも描かれているように、古今東西、戦争と凌辱というのはくっついていると思ったほうがいい。戦場では、そういったことが特殊ではないということをまず認識する必要があろう。だから、規律や道徳で兵士をしばり、ときには慰安所を設置することで、戦場で暴発するエネルギーを抑制しようとしたのである。

 朝日新聞は狡猾だ。元日本兵の証言を羅列した後に、大隊本部にあった慰安所について触れる。そこで「略奪した物を換金し慰安所に通う兵もいた。」と並列することで、元日本兵の凌辱証言と、慰安所での行為を結び付けようとしていることが見て取れる。さすが朝日新聞だ。
 でもね、こういったきちんとした資料を論拠にして語られないものは、ただの井戸端の噂話でしかない。そんなマスコミの噂話に右往左往しないように、きっちりとリテラシーを身につけようと思ったのであった。