証拠裁判主義

 いやはや、地元の町内運動会の準備やら実施やら後片付けやら、やらやらわやわやで、更新が午後4時になってしまいました。また、これから町内会事務所に出かけます。その寸暇で気になったニュースをひとつ。

 

《少女像巡る首長発言に抗議 元慰安婦、川崎で証言》

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191006-00000008-kana-l14

 92歳のお婆さんが、わざわざ来日をして証言したんだとさ。ご苦労様。

《14歳だった1942年7月、朝鮮半島東南部の蔚山で2人組の男にトラックに押し込められ、中国の慰安所へ連れて行かれた。時折苦しそうな表情を浮かべながら「1日で40、50人の相手をさせられ、耐えられずに自ら命を絶つ人もいた。拒否すれば軍人に刀で刺し殺された。慰安所は実際には死刑場のような所だった」と証言した。》

 2人組の男は日本兵ではないよね。明らかに朝鮮女衒である。連れていかれた支那中国の慰安所って、国民党軍の慰安所じゃなかったの?日本軍の軍律は厳しく、慰安所であろうとも、誰かを殺害すれば絶対に軍法会議にかけられる。そういったことをもっとも気にするのが日本人と言ってもいい。だから、拒否を理由に刺し殺すような日本兵はいない。そして、支那兵だとそういうことが往々にしてあり得た。そのことから国民党軍の慰安所だったと推量をする。

《「強制的な状況に置かれていたのだから謝罪と賠償を求めるのは当然。日本政府が強制したのではないと言い張るのは耐えられない」と思いを吐露した。》

 だから、証拠を出してくることが一番大事なのである。「私が生きた証拠」というのではダメなのだ。相手を罪に陥れたいと思うのなら、いろいろな証拠を出してきて、その上で裁判でもなんでもやればいい。「感情」だけで法は成り立たない。成り立つのは韓国だけである。

《「少女像は私たち自身。歴史を記憶するための像になぜ反対するのか」と李さん。「自らやった悪いことをなかったと言い、私たちの身に起こったこともなかったと言う。許されないことだ」と語気を強める》

 ファンタジーならどうぞお好きなようにとしか言う言葉が見つからない。しかし、それが日本人の誇りを毀損する嘘であるから、見のがすことができないのだ。日本政府は、証拠を列挙して「なかった」と言っている。あなた方も「感情」ではなく、「証拠」を並べて指弾してくれ。「私が証拠なのだ」ではダメなんですよ。法治国家では、そんなたわ言は通用しないのである。

《日本政府は私たちが死ぬのを待っているとしか思えないが、死んでも問題はなくならない。次の世代が解明してくれる》

 解明できるなら、もうとっくにやっていると思うよ。事実がないのだから、証拠の並べようがないのである。

 証拠に基づいて糾弾してこい。繰り返すがファンタジーではダメなのである。