お互い様

 昨日の朝日新聞「声」の欄。トップは「隣国を思いやる度量見せる時」と題した77歳のご老人の投書だった。
 内容をいくつか列記する。詳しくは新聞で読んでね。
 稲田朋美行革相が靖国参拝の意向を固めたことを受けて《韓国や中国などの苦悩を思いやる自省はないのか。》と言う。
ソウルで開催された日韓戦での、例の横断幕事件について、閣僚が遺憾の意を表明したことに対しては《巨大な旭日旗をスタンドに掲げたことへの自省はない。これでは不信を増すばかりとなろう。》と責める。
まとめはこうだ。
日本国憲法は、前文に普遍的な政治道徳の法則として「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」とうたう。中韓との関係改善のために、日本は屈辱を受けた相手を思いやり、その法則を進んで実行する度量を見せる時ではないか。》
 ああ、この方も「9条教」の信者であったか。それはそれでいいけれど、この半世紀、日本はどれほど中韓に譲歩し、援助し、屈辱的な外交を強いられてきたと思っているのか。土下座外交を続けてきて、相手は付け上がりこそすれ、関係改善のための誠意を見せてくれたことがあっただろうか。
 確かに、昔、この国は戦争をした。ただ、戦争というものは一方的にできるものではなく、極めて複雑な国際外交があって、その上で、最終的な帰結として戦争ということなる。単純に「日本が侵略しました」「日本が一方的に悪うござんした」というものではない。
 半世紀以上にわたって、譲歩し、援助し、謝罪し続けても、日本人は許されないのか。世代がかわり、戦争を知らない子供たちばかりになっても、徹底して責任を負わされるのか。
 あの戦争で、日本は連合国――もちろんこの中には支那中国も入っている――に国土を焼き尽くされたのである。日本列島はまさに焦土と化した。多くの兵士が修羅の戦場で死に、無辜の市民が火炎地獄の中に数多の命を落とした。あるいは、戦後、糧道を失った女性たちが進駐してきた米兵に体を売ってしのいだことなどは、中韓のこうむった苦悩とは比較にならないというのだろうか。
 戦争はしてはならない。なぜなら、そのことで多くの人間が悲しい思いをするからである。あの戦争で、確かに中韓の人々も悲しい思いをした。しかし、あの時代に生きた日本人が悲しい思いをしなかったかと言えば、そんなことはないのである。幸せとか不幸せというものは、その人の感じ方によって千差万別だ。諸行無常を皮膚感覚として知っている日本人といえども、あの戦争による不幸の連鎖はとてつもなく負担だったろう。
 お互い様、68年におよぶ歳月が流れた。彼らは、この悪意をいつまで抱え続けて、日本を憎悪し続けるのだろうか。

 言ってしまえば、ずるずると続いてきた日本への口撃、いやがらせは、共産党独裁政権維持のためだったりするわけで、けして善意の被害者ではないことだけは知っておきたい。