8月7日

 ポツダム宣言の発表が1945年7月26日である。発表と同時に日本政府は内容の検討に入っている。降伏の決断には少し時間を要した。その空白が、朝日新聞などの捏造記事などもあり、アメリカには「ポツダム宣言拒否」というかたちで伝わった。
 アメリカ大統領のトルーマンはこの情報に飛びついた。ポツダム宣言を日本に受け入れられてはまずいのである。「受諾をしない」という情報が欲しかった。これで、日本を完膚なきまでに叩ける。その際に、戦争に名を借りた壮大な人体実験が行なえる……そこまで考えたかどうか、それは定かではない。しかし、日本列島には2発の原子爆弾が使用され、おびただしい数の市民が殺戮された。

 それとは別にこの時期に、列島各地への爆撃も容赦なく行なわれている。
ポツダム宣言発表から11日しか経っていない今日、愛知県の豊川海軍工廠への爆撃が行なわれた。ポツダム宣言を受諾していない。それは事実である。しかし、この時期の日本にどれほどの反撃の力が残されていただろうか。国力は瀕死の状態である。アメリカは、武士の情けで「待つ」という判断はできなかったのだろか。
 豊川海軍工廠にB29が殺到したのは午前10時30分。サイパン、グアム、テニアンから発した爆撃機124機が豊川の小さな空を埋め尽くす。この空襲で2600人以上の市民が殺された。この中には海軍工廠に勤労動員されていた中学生、高等女学生など450人余の子供も含まれている。
 繰り返す。日本には連合国軍に対抗するだけの国力はすでにない。ポツダム宣言は受諾していないが、力は尽きている。白昼堂々の空襲である。制空権などとっくにない。もちろん日本周辺の海もアメリカ海軍に掌握されている。事実、九州島から少し離岸しただけで戦艦大和は沈没しているではないか。
 豊川海軍工廠では、銃器を製造していた。といってもこの時期の日本に原材料が豊富にあるわけがなく、細々と生産工程を動かしていたに過ぎない。それに制海権、制空権はないと書いた。造った銃器をどこにも運べず、せいぜい本土決戦で使用することが可能だ、というくらいのものである。
 これを白昼、工場が稼動している時間帯に攻撃すれば、必ずや甚大な人的被害でることは推察できる。それをあえてアメリカ軍は敢行した。なんのために?もちろん日本人を殺戮するためでしょ。
 ポツダム宣言発表以降、終戦まで30回を超える空襲が行なわれ、概算だが2万に及ぶ非戦闘員が抹殺された。これには広島・長崎の死者数は入っていない。
 ポツダム宣言以降のこの不条理な仕打ちを思うにつけ、アメリカが日本に好意を持っているなどという言説は信じられないし、対抗する兵力を失った国家のなんと惨めなことか。

 8月というとお盆もあるし、終戦はあるし、広島・長崎はあるし、おびただしい数の空襲もあった。民族としての日本にとって追悼の月であることは間違いない。追悼はしよう。でもいつまでも68年前のことに拘泥していては先に進めない。反省だって68年もすればいいでしょ。そろそろ日本人は過去に決別をするときだと思うお盆間近の今日この頃。