命より重いもの

 今朝の朝日新聞の「声」に「最も尊い命奪う戦争は大罪だ」と題する投稿が載っている。論旨は、「この世に命より尊いものはない」「戦争は大罪だ」「どうしたら世界が平和になるのかもっと議論をしろ」「戦争することを可能にすると、祖国の平和を信じて死んでいった多くの英霊をないがしろにする」「だから憲法9条を守れ」というもの。

 チベットで若い僧侶たちが己の身を焼いて中国共産党に抵抗している。2009年以降、110人を超える焼身自殺が止まらない。チベットでは少なくともこの投稿者の言うような「戦争」は起きてはいない。だって、チベット人は軍隊を持っていないんだもの。投稿者の言う「戦争」とは軍隊と軍隊でするもので、軍隊が平和に暮らしている人々を蹂躙することではないからである。

 投稿者の言っていることを一つずつ考えてみよう。
「この世に命より尊いものはない」
 それはある。命を賭けても守らなければならないものはたくさんある。命が地球より重い、といったバカな宰相がいたけれど、宇宙の奇跡のような地球という惑星が人の命より軽いわけがない。チベット僧が命を賭けて守ろうとしている「重いもの」のことを、「9条教」の人たちは死ぬまでわからないんだろうなぁ。

「戦争は大罪だ」
 そのとおりだ。戦争をすることは良くない。しかし、9条にボケた方々が言われる「戦争」より恐ろしく酷いことは、実は山ほどある。だからチベットウイグルの若者は必死に抵抗しているのだ。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20130525-00000012-pseven-cn
 これに対して、中国公安当局は、《焼身自殺を図った人たちの火を消した後で、息がある場合には公衆の面前で死ぬまで殴る蹴るの暴行を加える》のである。中国共産党チベットは「戦争」状態にない。中国共産党チベットに強いていることは「ジェノサイド」であり、これは間違いなく「戦争」より大罪である。

「どうしたら世界が平和になるのかもっと議論をしろ」
 議論している間に「ジェノサイド」はどんどん実行されていく。立ち上がるときには立ち上がる勇気が必要だ。


「戦争することを可能にすると、祖国の平和を信じて死んでいった多くの英霊をないがしろにする」
 戦争をしなかったことにより、民族の尊厳を踏みにじられる、そんな状況を引き起こさないために、あの戦争を戦った日本人は多く存在する。「祖国の平和」というよりも「祖国の安全、祖国の誇り」のために戦死した方々は多かろう。日本人を、従順な奴隷にしようとするサヨク思想の人間の方がどれほど英霊をないがしろにしていることか。

憲法9条を守れ」
 投稿者は、戦争で犠牲になった人たちへの償いになるから「憲法9条を守れ」と言う。でも考えてみようよ。チベットに「憲法9条」があったなら、現在の状況にならなかっただろうか。ウイグルに「憲法9条」があったなら、支那からの弾圧を回避できただろうか。
 
 昨日、「天空の城ラピュタ」がテレビで放映された。もう何十回も観ているのだが、ついつい観てしまったわい。この物語で、主人公のパズーはカッコイイですよね。シータを助けるために銃を取り、戦いに身を投ずるわけですから。
 海賊の親玉のドーラおばさんも毅然としている。圧力を加えてくる軍隊に、真っ向から戦いを挑んで一歩も引かない。
 パズーとドーラが軍隊と戦っているこの状況は、「9条教」の皆さんから言えば、明らかに「戦争」状態ですよね。でも、パズーとドーラが戦わなければ、おそらくシータは不幸になっているし、天空の城がムスカに乗っ取られれば、多くの無辜の命が犠牲になっただろう。それでも「9条」を唱えて、自己満足だけの「平和」に甘んじているほうが「9条教」の皆さんはいいと思っているのだろうか。
 その思想をもって「天空の城ラピュタ」を創り直したら、まったく面白くない映画になると思いますぞ。