組織論

 中国共産党一党独裁習近平の絶対化が完成しつつある。習主席のやり方は周到だ。とにかく後継者を作らない。
李鵬元首相の息子が全人代落選 習主席の積年の無念晴らしか》
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180304-00000008-pseven-cn
 無念晴らしもあるだろうが、とにかく後継者を作らなければ自分のところに人は集まらざるを得ない。
 これはどこの組織でもそうであろう。副官に空席があっても、己の権力維持に汲々としている輩は、得てして能力の高いナンバー2、ナンバー3を作るのを嫌がる。自分の権力基盤を揺るがしかねないからね(笑)。

 組織といえば、昨日、「第22回菜の花忌シンポジウム」の様子がNHKで流れていた。司馬遼太郎の命日である2月12日に東京で「菜の花忌」が行われ、そこでのパネルディスカッションが豪華だった。作家の浅田次郎さん、司馬遼太郎の再来と言われている国際日本文化研究センター准教授の磯田道史さん、作家の木内昇さん、映画監督の原田眞人さんが登壇。テーマは新撰組で、ワシャがもっとも愛する『燃えよ剣』、そして『新選組血風録』が俎上にあげられた。この中で司馬遼太郎の捉える「組織論」が討論された。
 司馬さんは「奇妙さ」と題されたエッセイの中でこんなことを言っている。
《あらためていうまでもなく、組織というのは、ある限定された目標をめざしてナイフのようにするどく、機械のように無駄なく構築された人為的共同体である。》と前置きをしつつ、《新選組は、文化史的にいって、日本の組織の最初ではないか》と言われる。江戸の幕藩体制(徳川藩を含めて藩の集合体)のことを上げて、《江戸期の幕藩体制というのは、ただそれ自体が存在するだけを目的としていた。藩機構のさまざまな部署も日常に無からんことのみを目的とし、藩人個々の暮らしも意識も、先祖から相続してきた家禄・家格を次の代にゆずっていくことだけを目的としていた。》と言われる。
 つまり事無かれを組織の目標としたとき、その組織は組織ではなく延命(ときにトップの延命)のための機能に成り下がる。
「それじゃだめじゃん!」と司馬さんは言い、組織とは斯くあるべしということを新選組を描くことで示された。
 浅田さんも磯田さんも、現在は「幕末」「敗戦」に続く第三の変革期であると言われる。変革期にどう生きるか、どう自分を貫くか、これが縷々語られたが、出勤前に考えるにはちと重い。後日、またじっくりと考えるとしよう。