明るい話題

 昨日、キツネの足跡を824個ほど画いた。「何をしていたのか」ということなのだが、ちょいとしたイベントの仕掛けなので、今は言えない。
 足跡画きは、有志を募った。10人の勇士が参加表明をしてくれた。その10人の予定を調整したところ、昨日の午後しか都合のいい時間はなかったのである。
 午前中は雨が降っていた。足跡は道路上にペンキを使って画く。だから雨が午後まで続けば、路面が濡れていて画けない。逆に晴天というのも困る。夏のアスファルトの表面は目玉焼きができるほど熱い。どうなることかと心配していると、雨は昼前に上がり、風が吹いた。これがアスファルトの表面をほどよく乾かしてくれた。
 曇りである。道路の温度もそれほど高くない。絶好の足跡画き日和だ。路地に座りこんで、せっせと足跡を画く10人の勇姿には、ちょっと感動しましたぞ。
 もちろんワシャも率先して画いた。路面が熱くないのでジベタリアンになって、楽な姿勢で画く。座布団か毛布、ひざ当てなどを持ってくれば、もっと楽に描けたろう。次からは、そうしようっと(笑)。

 ワシャの会社でも、メンタルな理由で長期に休んでいる社員が少なくない。強ストレス社会を生き抜くのはなかなか大変なのである。かく言うワシャも、日々理不尽なストレスにさらされ、心が波立つ時もある。そんな時は、座禅を組んで心を鎮めたり、酒で紛らしたりしている。
 おっと、座禅で思い出した。昨日は臨済宗の開祖である栄西の命日だった。栄西、平安末期から鎌倉時代の初頭にかけて75年間生きている。時代の苛烈さを考えれば長命と言っていい。
 先月の16日の日記に僧の寿命が長いということを書いた。
http://d.hatena.ne.jp/warusyawa/20130616
 そこでは《彼らが修行の一環として「呼吸法」を会得していたからではないか》と結論づけている。それもあるだろう。しかし、足跡を画いていて、気持ちが晴れ晴れとしてくることに気がついた。キツネの足跡を画いていると心が落ち着いてくるのである。

「無念無想」

 凸凹の路面に小さなキツネの足跡を画くのは、集中力がいる。雑念を払わなければ画けない。「無念無想」にならねば2つと画けないだろう。
 10分程、集中して作業をしていると、心が楽になっているのが分かる。長命な高僧たちは、呼吸法とともに、心を楽にする方法を会得していたに違いない。

 曇っているとはいえ、夏の午後である。温度は上昇し、汗がアスファルトにシミをつくる。湿度が体中にまとわりつく。
 そこに木立ちの間を抜けて風が立つ。一時の涼である。実に気持ちがいい。こんな爽快さは久しぶりだった。無心に、キツネの足跡を画く、これは心を養うのに効果がある、そう思った。