境港の成功

 境港市について触れたい。鳥取県の西のはずれにあり、人口3万5000人足らずの地方都市である。面積は28.79平方キロというから、愛知県でいえば、津島市より少し大きいくらい。沖合漁業を中心とした魚の町で、平成7年の3万7365人をピークに減少に転じている。
 そこに今、観光客が押し寄せている。平成5年に年間2万1000人程度だった観光客が平成22年には567万人を超えた。これは凄い。今や境港は中国地方の押しも押されもせぬ一大観光地になった。
 すでにピンときた方もおられると思うが、これが「水木しげる効果」、「ゲゲゲの鬼太郎効果」というやつである。水木マンガの妖怪たちをブロンズ像にして、平成5年から、JR境港駅前の通りに設置を始めた。最初の年は23体を並べた。それから毎年増やしていって、現在は153体の妖怪たちが駅から東に伸びる「水木しげるロード」800mの間にひそんでいる。これが楽しくないわけがない。
 でもね、この通りに登場する妖怪たちのほとんどは、境港となんの関係もないんですね。「油すまし」は肥後の妖怪だし、大男の「山わろ」は木曽の山中に棲んでいる。大木の枝から落ちてくる「つるべおとし」は京都や滋賀を縄張りにしているし、座敷童子は東北地方のあやかしである。そもそも妖怪たちは土地に憑く。だから全国津々浦々渓谷山巓が故郷なのである。しかし境港に集結させてしまった。
 でもね、これでいいのだ。地域おこしなどやったもの勝ちである。ここまで腹を括って、妖怪を設置し続ける関係者は素晴らしい。
 さらに平成15年に観光客誘致の拠点の「水木しげる記念館」を開館させている。この他にも妖怪ラッピング列車、ねこ娘の梅酒、イカ焼き一反もめん、妖怪神社、目玉おやじのスイーツ、ねずみ男のまねき猫、妖怪饅頭、鬼太郎ぬいぐるみ、妖怪Tシャツなど、もうなんでもありの事業展開である。
繰り返すが、これでいい。水木しげるさんは了解してくれている。それなら徹底的にやればいい。

 水木さんは大正11年に大阪で生まれている。幼時、境港に移り住み、高等小学校を出て、すぐに大阪に行ってしまうので、実質10年くらいを境港で過ごしただけであろう。その後、戦争で南方に送られ、戦後、神戸、西宮、亀戸などを転々とし、昭和35年に調布に家を購入する。以降、調布が創作活動の場となって現在に至る。
 もちろん幼少期を過ごした境港が、水木さんの故郷であることは間違いない。それに水木さんに妖怪の基礎の存在を教えてくれた「のんのんばあ」との出会いも境港である。生活の基盤は調布市だが、妖怪の大親玉、水木しげるが憑いている土地はやっぱり境港ということ。

 水木しげるという巨匠をいただき、妖怪というキャラクターをそのまま使えるというのは、町として実に有り難いことである。地元出身の作家、マンガ家、芸術家を使ったまちづくり、町おこしの類似事例は全国のあちこちに存在する。しかし、ここまで成功した例は珍しい。
 たとえば、詩人・童話作家宮沢賢治を生んだ花巻である。賢治以外にも、観光資源として花巻温泉高村光太郎新渡戸稲造といったものが揃っている。にも関わらず、200万人台の観光入込数なのである。宮澤賢治に限定すれば40〜50万人といったところだろう。辺鄙さと言えば、花巻と境港と大きな差はないと思う。東京から花巻まで新幹線をつかって3時間、大阪から境港まで鉄道利用で4時間20分だから、どちらかといえば大都市圏からのアクセスでは境港のほうが不利だろう。
 しかし、花巻は振るわない。なぜか、これは現地を訪ねたときに感じたことなのだが、作品に登場するキャラクターたちがうまく使われていないのである。「銀河鉄道」「風の又三郎」「注文の多い料理店」「でんしんばしらの兵隊」「セロ弾きのゴーシュ」など、その個性的なことではけっして妖怪たちに引けを取らないキャラが揃っている。この素材をもっとうまく使うことが必要だろう。
 もう一つ、拠点を市街地と郊外の宮沢賢治記念館周辺に二分したことが、境港に大きく水を空けられた要因だと考える。サブ的な施設が郊外にあるのならまだしも、メインとなる拠点が中心市街地から離れているのは致命的だ。分散より集中、事業を軌道にのせるまでは一点突破を考えたい。
 またブランドが多すぎるというのもマイナスなのかもしれない。賢治、光太郎、新渡戸、花巻温泉など、それぞれが並立し、お互いの魅力を打ち消し合い、焦点がぼけてしまっているような気がする。
 
 これは愛知県半田市にも言えることで、半田市は今年新美南吉生誕百年をむかえる。これはこれでいいのだが、どうも半田市の中での盛り上がりが見えてこないのだ。なぜか。それは半田市も花巻と同様に素材が多すぎることにその因があると思われる。
 半田の観光資源というと、市内31台を誇る山車であり、港町として形成されてきた歴史をみると荒くれの海の男は山車の激突に血わき肉躍らせる。また、半田運河沿いに広がる蔵の町も見どころだ。明治末期に建設された赤レンガのビール工場もいい。なにしろ町全体に歴史がある。なにしろ市内に博物館系が4施設もあるというのだから素材はそろっている。あとはこれをどう組み合わせブランド化をはかっていくかが大きな課題だ。
 失敗事例、動かない事例は枚挙にいとまがない。そういった意味では境港に学ぶことは多いと思う。さて、境港を研究する皆さん。どうやって地域の活性化を進めていきますか。智慧と閃きと行動力、そしてほんの少しの運があれば、面白いものができるのではないでしょうか。