昨日、愛知県が「南海トラフ地震」の県被害想定を公表した。県の合計で2万3000人が「南海トラフ地震」で死ぬという予想だ。内訳は津波で1万5000、建物倒壊などで6000となっている。
まだ詳細なデータを読んだわけではないので、なんとも言えないが、まぁ「杞憂」だろうね。「杞憂」と言うのが悪ければ、ロシア連邦ウラル連邦管区のチェリャビンスク州付近で発生した「隕石の落下」とでも言っておきましょう。
地震は、南海トラフ以外でも起きるし、その被害は一律にはならない。自然が起こすことを科学で証明できないことは、明日起きてもおかしくないと言われた「東海地震」が40年近く経っても、うんともすんともぷーっとも言わないことからも明白である。
1976年のことである。神戸大学のとぼけた教授が「1944年、46年の東海道・南海道沖の地震の際に、東海地震域だけが割れ残った。このため東海地震域には、未だに応力のエネルギーが蓄えらたままなので数年以内に東海地震が発生してもおかしくない」と主唱した。このために静岡県は蜂の巣を突いたような大騒ぎをして、じゃぶじゃぶと予算をつぎ込んで防災対策を練った。予知に費やした予算を耐震対策や東北の方に回しておけばよかったのだが、1970年代には、東海地方の自治体も住民も「天が落ちてくる」と真剣に心配していたのだから仕方がない。
今回、示された被害想定にしてもそうだ。こんなものなんの科学的根拠もない。基本の数値(これがそもそもいい加減なもの)に津波、火災、建物倒壊、がけ崩れなど、想定できもしない係数を掛け合せて「ポン!」と出てきたのが2万3000人だ。
「愛知県に巨大隕石が墜落し10万人が死にまっせ」
という予言とさしたる差はない。
要は、国や県の担当部局が、万が一の災害が起きた時に、責任を問われないように、最大被害を見積もって、それを示したというだけの話。そんなハーメルンの笛に踊らされてはいけない。
ある自治体では、死者想定が一気に170倍を超えた。それじゃぁ今までの想定はなんだったのか、ということだ。3倍、4倍というなら説得力もありますわなぁ。100倍を超えた段階で、そもそもかつての想定は大間違いということだし、今度の想定だって推して知るべしで、いい加減なものではないか、と疑りたくなる。
「杞憂」は確かに起きる。ロシアでは天は墜ちてきた。地も震える。日本列島に住んでいる以上、それは避けられない。そのことを感覚として日本人は知るべきであり、災害に対して各々が危険を察知するセンサーをもつことが必要だと思う。
ただ、なんだかわけの解からない数値を示されて「これだけ死にまっせ」と脅されても「それで?」という話でしかない。
夕べBSで関ヶ原の合戦について識者がディスカッションをしていた。その場で、自衛隊の戦略研究所の人がこんなことを言っていた。
「戦場では想定外が想定内なんです」
それは災害でも同様なのである。いくら数式に則って災害を想定しても、災害は人間の思っているようには発生しない。そのことを大学の偉い先生方は、そろそろ認識したほうがいい。