地震の話(つづき)

 地震は単純なものではない。同一の基準である震度階で1だの5弱だのと言っているが、この震度階で十把一からげにして談ずるのは危険だ。
 明瞭に断層線が地表に現れた兵庫県南部地震と、地下の深いところにある未知の断層帯が滑った新潟県中越地震とはまったく揺れが違う。同一の地震でも場所により震度階は異なるし、揺れも違ってくる。そもそも、揺れと言っても、水平方向に縦・横・斜め、それに上下動が加わって複雑な揺れが地表を襲う。その複合体を地震動と言っているだけなのだ。
 昨日から大騒ぎが始まった「南海トラフ地震」でも、プレートの割れ方、割れる範囲などによって、地震の形態は千差万別である。「兵庫県南部地震」と「東北地方太平洋沖地震」とが違う地震のように、「南海トラフ地震」も起き方によっては、被害想定もまったく変わってくる。陸から震源域までの距離、震源域の長さ、面積の違いによっても被害はまったく別物になってしまう。被害想定とはことほどさように難しいのである。
 だが、この複雑な想定を単純にはじき出すことは可能だ。それは被害を最大限に見積もることである。すべてを現在想定しうる最悪に見積もれば、最悪の場合、当たらずといえども遠からず。これが今回の死者32万人の想定ということである。これだけ最悪に見積もっておけば、よもやこの数字は超えられないから、ほとんどの地震がこの数値を下回る。下回れば、「想定内でよかったね」ということになり、責任追及はされない。学者さんたちは「あ〜よかった」ということになる。
 でもね、ここにも落とし穴があって、最大限に見積もったつもりでも、自然は気まぐれである。そしてそのパワーは驚異的だ。自然の猛威は、いともたやすく人間の想定を超えてしまう。現在、学者さんたちはフィリピン海プレートの北の端が割れることを想定しているが、もしかしたらフィリピン海プレートが1枚丸ごと外れることだってあるかもしれない(ないけど)。要するに想定は青天井ということなのだ。
 厳しい想定を出すことは、国民に危機感を持たせるためには、多少、有効だろう。しかし、脅すだけでは駄目なのだ。この想定を出すことによって、危険な地域に住んでいる人――というか日本列島のどこもが地震の危険地域なんだけどね――にいかに防災教育を施し、「耐震補強」と「家具の固定」をやってもらうかが重要なのである。津波を除く地震被害はこの二点をクリアすれば、ほぼ解決する。あとは沿岸部の津波被害にどう対処していくかをしっかりと検討することに尽きる。

 三重県のある町では、ハザードマップを地域の標高だけを記載した白地図にしてしまった。釜石のケース「想定が想定にならない」に学んだ結果である。ワシャはそれでいいと思う。浸水域が示されていないマップを手に、自分自身で生き残る方途を探る。その町はその方向で住民を守ろうとしている。
 防災の日を目前にして、国と、小さな町から被害想定の両極が示された。さあて、どちらが命を守ることになるのだろうか。注視していきたい。