行けないところはあっていい

《『五体不満足』などの著作で知られる作家の乙武洋匡さんが、東京・銀座の飲食店に予約して出向いたところ、車いすでの入店を断られたことをツイッターで明かし、議論を呼んでいる。》のだそうな。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130520-00000389-bengocom-soci
 賛否はある。それらはネット上にあふれているので、触れないが、城ファンとして一例を挙げておきたい。

 名古屋城のことである。空襲で天守、小天守、御殿ともに焼失してしまったが、昭和34年に鉄筋コンクリート造で再建された。本丸御殿も再建が進められており、まもなく玄関や表書院が公開されるという。うれしいなぁ。
 その天守閣の東のどてっ腹に白い長方形の箱がくっついている。エレベータである。現代建築のその部分は明らかに違和感があり、江戸初期の雰囲気を伝える城全体の景観を壊している。
天守閣を東から紹介する写真は、手前に生えている松の木などを使って、その部分を隠している。誰もが美しい名古屋城に相応しくないと思っているのは間違いない。
 ここで何度も紹介している作手古宮城である。ここも乙武さんが散策しようとすれば、城址全体を切り崩してバリアフリー化をしなければならない。

 10年くらい前のことである。城好きの仲間と大坂城へ行った。数日前に腰の具合を悪化させていて、ステッキをつきながら大阪城公園駅に降り立ったものである。大阪城ホールを越え、外堀、内堀を渡って、天守閣の北側にある山里廓まで来た時に痛みが強くなった。目の前には登りの道が続いている。仲間は「ここまで来たのだからおぶってでもいく。みんな揃って天守閣に行こう」と言ってくれた。でも、固辞をした。仲間に迷惑をかけてまで天守に登る必要はないんだ。山里廓から見上げる天守閣を満喫すればいい。ワシャはそこにあったベンチに腰をおろして、仲間に「バイバイ」と手を振ったのだった。
 小一時間ほど山里廓の新緑に抱かれながら、司馬遼太郎の『城塞』を読んでいたが、それはそれで一興であった。行けるところまででいい。なにもかもすべてがみんなと一緒でなければならないということでもあるまい。